往生際は悪くていいのだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1423)】
今シーズン初めて、ウグイスの完成した囀りを耳にし、その高木を見上げながら1時間近く粘ったが、残念ながら撮影には至りませんでした。あちこちで、ハクモクレンが咲いています。ハクモクレンよりほんの少し花期が遅いコブシも咲き始めました。ハクモクレンとコブシの花は似ていますが、ハクモクレンは花弁6枚+萼片3枚がチューリップ状に咲き、コブシは花弁が6枚で掌状に咲くので、見分けることができます。サンシュユが黄色い花をまとっています。ハナモモが蕾をたくさん付けている中、開いた桃色の花を一輪見つけました。因みに、本日の歩数は13,141でした。
閑話休題、『往生際の日本史――人はいかに死を迎えてきたのか』(小山聡子著、春秋社)は、日本人が歴史的に、どのように死を迎えてきたのかを考察しています。
「どの時代に生きる人間にとっても、いかに死を迎えるべきかは重大な課題である。苦しみもなく安楽な境地のままこの世を去りたい。このような願いは万人が持つことだろう。・・・(医療が進歩した現在であろうと)そもそも、未練や執着を感じることなく死を迎えようと努力すること自体に無理がある。大多数の人間の往生際は悪い」。
源信、藤原道長、後白河法皇、源頼朝、北条時頼、楠木正成、徳川家康、宮沢賢治など、歴史上の人物たちも安楽な境地で死を迎えるべく、さまざまな工夫を施した上で死に臨んでいます。しかし、安楽な境地で死を迎えるなどということは、そう容易くありません。
歴史上の事例を踏まえて、著者が達した結論は、「往生際は悪くていい」というものです。「結局のところ、人間が生への執着をいだくのはごく自然であり、往生際は悪いのが当たり前なのである。無理矢理に良い往生際を願い求めるのではなく、生への執着を減らす努力を多少はしつつ、人間らしく悪い往生際を受け入れる、というのもよいのではないだろうか」。