榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

平安時代に源順がつくった『和名類聚抄』が日本初の百科事典だと、君は知っていたか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3189)】

【読書クラブ 本好きですか? 2024年1月9日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3189)

野鳥観察仲間たちからルリビタキならここ!と薦められた隣県の公園まで足を延ばしました。彼らの言葉どおり、私の大好きなルリビタキの複数の雄(写真1~13)、複数の雌(写真14)に出会え、夢のような4時間を過ごすことができました。不鮮明だがウソの雄(写真15)、シメ(写真16、17)、シロハラ(写真18)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は11,434でした。

閑話休題、『平安の文豪――ユニークな名作を遺した異色の作家たち』(河合敦著、ポプラ新書)に登場する紀貫之、藤原道綱母、清少納言、紫式部、和泉式部、菅原孝標女などの章も読み応えがあるが、個人的に、とりわけ興味深いのは、●源順(みなもとのしたごう)、●後白河法皇、●九条兼実――の3人です。

●源順

「源順は『和名類聚抄』の著者として教科書に登場するが、じつはこの本、日本で初めてつくられた百科事典なのである。・・・『和名類聚抄』は画期的な日本初の百科事典であり、誕生から900年近くを経た江戸時代の終わりにおいても、これを凌駕するものは登場せず、広く出版されて人びとに使用されてきた。さて、驚くべきは、源順が『和名類聚抄』を編纂した時期である。学者によって諸説あるが、彼が21歳から28歳の間に製作されたことは間違いないとされる。大学生ぐらいの若者が、この大書をつくり上げたということに驚きを禁じ得ない」。

恥ずかしながら、源順についても、『和名類聚抄』についても、本書で初めて知りました。

●後白河法皇

「『遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん』。これは(後白河法皇がつくった)『梁塵秘抄』に載る一節だ。この歌のように、後白河は遊ぶために生きているようなところがあった。今様を声がかれるまで歌い、さまざまな遊芸に興じ、来世の往生を願って寺社をめぐり歩いた。好奇心のかたまりで、興味を持つと、その気持ちを抑えることができなかった」。

「後白河法皇は老獪な政治家で、(木曽)義仲に平氏を都から追い払わせ、これに成功すると、その義仲を源頼朝に駆逐させ、さらに頼朝と(源)義経を競わせ、巧みに政権を維持したといわれる。が、とてもそれほどの策謀家とは思えない」。

後白河法皇が策謀家だったのか、あるいは、そうではなかったのかは、私にはまだ結論が出せません。

●九条兼実

「彼が16歳のときからおよそ40年近くにわたって詳細な日記『玉葉』を書き続けた。・・・兼実は朝廷の中枢にいたから、平清盛や源頼朝、後白河法皇など歴史を動かした人物と密接に関わっており、『玉葉』の文中にも彼らの動向や人物評がたびたび登場する。この時代を知るうえで欠かせない記録、つまりそれが九条兼実の『玉葉』なのである」。

嘉応2(1170)年に起こった平資盛と藤原基房の行列が揉めた殿下乗合事件について、『平家物語』では平清盛が激昂し、平重盛が宥めたとされているが、「『玉葉』の記述を見ると、激昂したのはむしろ重盛のほうなのだ。・・・さらにいえば、一ノ谷の戦いで鵯越の逆落としを断行したのは義経だとされてきたが、これも『玉葉』の記述から、近年は地元の地理に明るい多田行綱がやったことだという説が有力になっている」。

どうも、重盛や義経に対して抱いてきたイメージを変更しなければならないようです。