國松警察庁長官狙撃事件の真犯人が判明しているのに、逮捕されないのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2365)】
カルガモ(写真1~4)が水浴びをしています。ハス(写真5)の果床には種が少ししか残っていません。トキワサンザシ(写真6、7)、タマサンゴ(写真8)が実を付けています。
閑話休題、『宿命――國松警察庁長官を狙撃した男・捜査完結』(原雄一著、講談社文庫)は、超一級のドキュメントです。私がそう断言する根拠は、3つにまとめることができます。
第1は、1995(平成7)年3月30日に発生した國松孝次警察庁長官狙撃事件の犯人を実名で名指ししていること。そして、列挙されている証拠が反論の余地がないほどの説得力を有していること。
第2は、著者自身が最前線で実際に犯人捜査に当たった警視庁捜査第一課の刑事であり、著者が属する刑事部門と公安部門の組織内相剋の実態が生々しく描き出されていること。
第3は、よくあることだが、先入観が捜査の方向を誤らせることを如実に示していること。
「平成16年7月7日、産経新聞朝刊が警察庁長官狙撃事件に関して、『オウム元幹部を強制捜査』というスクープを一面で報じた。事実その日、公安部が率いる南千住署特別捜査本部は、警察庁長官狙撃事件の犯罪事実に基づきオウム真理教関係者3名を逮捕し、あわせて、オウム真理教元幹部1名を別件の爆発物取締罰則違反で逮捕した。この新聞紙面を見ただれもが、これで警察庁長官狙撃事件は解決すると思ったに違いない」。しかし、「7月28日、東京地方検察庁は逮捕したオウム真理教関係者を処分保留のまま釈放、9月17日に不起訴が決定した」。
「重要凶悪事件の捜査を任務とする捜査第一課には、特命捜査対策室という部署がある。ここでは、発生当時に特別捜査本部を設置して重点的に捜査を尽くしたが、残念ながら未解決になった事件の再捜査を担当している。これに従事する者は、先の見えない捜査を黙々と進める忍耐力と必ず検挙するという粘りのある捜査員が選ばれ、着実に結果に結び付けている。ひとたび未解決事件を解決に導けば、発生当時に担当した元捜査員は、結果を出した現役捜査員の努力を素直にねぎらい、検挙・解決に導いた現役捜査員は、先人の基礎捜査があったからこそ、現代の科学捜査と融合して結果にたどり着いたことを謙虚に受け止める。ところが、警察庁長官狙撃事件の捜査を担当した公安部では、発生以来、歴代の錚々たる幹部がオウム真理教の犯行と見て捜査を進めてきたのだから、最後までオウム真理教の犯行と見て捜査を尽くさなければならない『宿命』があるという。検挙至上主義の刑事部で鍛えられてきた私には、この宿命というものがなかなか理解できなかったが、多くの公安部幹部の方々から話を伺ううちに自分なりにその宿命を消化してきていた」。
「警察庁長官狙撃事件について、中村(泰<ひろし>、事件当時74歳)は、下見時の状況、犯行時の状況、犯行後の状況について具体的に供述し、その裏付けも取れている。また、数々の証拠品が、中村の犯人性を雄弁に物語っている。しかし、明確な裏付けが困難な内心の部分については、疑念を払拭できない点がある。ただそれは、中村が弟に語った警察への復讐心、千葉刑務所服役中に綴った官憲に対する積年の恨み、謀略や策略にこだわる中村の性格、警察庁長官狙撃事件に関して綴った60篇の詩等、情況証拠をもとに組み立てていくと、中村の内心が読めてくる」。
「『オウム真理教による地下鉄サリン事件、オウム真理教関連施設に対する警察の一斉捜索等、警察とオウム真理教団が対峙しているこの時期に、警察庁長官を暗殺すれば、だれもがオウム真理教団の犯行と考える。官憲に対する積年の恨みを晴らす絶好の機会が到来したと考えた中村は、長年にわたり培ってきた狙撃技量を活かして狙撃による暗殺を計画し、そのとおり実行した。この暗殺計画に先立ち、送迎や簡単な手伝いをしてくれる人物が必要だった。そこでハヤシを金で雇い、目的の詳細は明らかにしないまま使役として手伝わせた。ハヤシに思想的な背景は必要なかった』。これが事実に近い構成であろう。・・・中村の弟はさらに熱く語る。『拳銃で人を撃って倒したいという欲望、警察権力に対する逆恨みを晴らしたいという欲望があったからこそ、兄は警察庁長官の狙撃を実行したにほかありません。事件があった平成7年当時、兄が銃器や弾薬を手に入れていたこと、朝鮮人民軍バッジや韓国コインを狙撃場所にわざと落として警察の見解を探るような行為をすること、千葉刑務所を仮出所した当時から警察に復讐しようとしていたこと、優れた射撃の技量があること、拳銃で人を撃つことに快感を覚えていたことから、兄は警察庁長官を狙撃したのです。兄には、オウム真理教団に対する警察捜査を奮い立たせるといった世直し的な正義感などありません。自分がやったことを正当化するための詭弁です。兄はオウム真理教信者がサリンを撒いたことに刺激され、勇気付けられたはずです。オウム真理教信者にできるのだから、自分にだってできるはず。だから、やってみたいという気分の高揚に繋がったと思っています。そして、実際に、警察トップを狙撃することができたのです』。つまり、警察庁長官を狙撃した中村の本来の目的は、官憲に対する個人的な恨みを晴らす『復讐』にあった。謀略を好む中村は、いまこのとき、警察庁長官を暗殺すれば、だれもがオウム真理教団の犯行と考え、自分は捜査線上に浮上せずに逃げ切れると目論んだ。ところが、名古屋市内で現金輸送車を襲撃して逮捕された失敗から、警察に三重県名張市内の住居を割り付けられて捜索差押えを受け、警察庁長官狙撃事件の容疑者として急浮上することになった』。
「思案をめぐらせた中村は、世間から強盗事件を起こして捕まった哀れな老人と見られて朽ち果てるよりは、この際、警察庁長官狙撃という偉業を成し遂げたことを明らかにして、注目を集めようと考えた。そこで、個人的な恨みを晴らす目的などはいっさい封印して、狙撃により警察捜査を加速させ、オウム真理教団を壊滅に追い込んだことを自分の功績や義挙として供述した」。
最後の取り調べとなった平成22年3月16日午後、中村がいみじくも著者に勝った一節が日本の警察の弱点の核心を鋭く衝いています。「ここまで立証できているのに、なぜか逮捕されない。はたして日本は、本当に法治国家と言えるのだろうか」。