苦しいときは苦しめばいい、泣きたいときは泣けばいい・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2383)】
我が家のメジちゃんは可愛い!と、餌台に入れ替わり立ち替わりやって来るメジロに、女房が目を細めています。カキが鈴生りです。私から読んでと、本たちが口々にアピールしています。
閑話休題、『道元を生きる』(ひろさちや著、佼成出版社)のおかげで、道元に親しみが感じられるようになりました。
それは、著者・ひろさちやによって、3つのことを教えられたからです。
第1は、道元が言いたかったことは、「迷いの中に悟りがあり、悟りの中に迷いがある」ということ。
「わたしたちは、生きているあいだは一生懸命に生きればよい。そして、死ぬときは一生懸命に死ねばよい。道元はそう教えてくれています。同様に、年寄りになれば、一生懸命老いを生きればよいのです。病気になれば、一生懸命病人を生きればよい。貧乏であれば、一生懸命貧乏人として生きればよいのです。とはいえ、それはそう簡単にできることではありません。どうしたらそういう生き方ができるでしょうか? 道元にそう問えば、『身心脱落せよ!』と教えてくれるでしょう」。
「<ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて>(ただ、わが身とわが心をすっかり忘れ去ってしまい、すべてを仏の家に投げ込んで)と道元は言っています。すなわち、角砂糖である自我意識(身心)を、大きな悟りの世界に投げ込んでしまえばいいのです。悟りの世界に融け込ませればいい。それが身心脱落です。だが、いくら身心脱落しても、それで『苦』がなくなるわけではありません。この点を、ほとんどの仏教学者が誤解しています。『苦』は原因があって生じるのだから、その原因をなくせば、『苦』はなくなると考えるのです。それは嘘です。たとえば風が吹くという原因によって花が散りますが、それじゃあ風が止めば、散った花が元の枝に戻るでしょうか。散った花は散ったままです。浮気をして離婚した人が、浮気をやめたところで夫婦関係が元に戻るわけではありません。『苦』は『苦』のままで残ります。仏教では『愛別離苦』をいいます。愛する者との別離は『苦』です。それで小乗仏教は、出家をして愛する者をつくらない方向に進みました。しかし、そのようなやり方は、人間性を否定したものです。姑息な手段です。苦しむときは、苦しめばいいではないか。泣きたいときは、泣けばいい。わたしはそう思いますし、道元もそう言っています」。
「われわれは『迷い』と『悟り』を2つの違ったものだとしていますが、実際はそれは1枚のコインの裏表のようなものです。だから迷い(生死)と悟り(涅槃)を別けるな――というのが道元の主旨です。迷いの中で悟り、悟りの中で迷えばいい。それが道元の考え方です。したがって、わたしたちは苦しいときは苦しめばいいのです。迷うときは迷えばいい。その苦しみと迷いの中で、ほんの一歩、仏に向かって歩めばいいのです。それがつまりは悟りにほかならない。そういうふうに道元を読めばいい。わたしはそう考えています」。
第2は、『正法眼蔵随聞紀』の著者・懐弉は、道元にとって欠くべからざる人物であったこと。
「学者の推定によると、道元のもとに集まったグループは、最初は10数名程度であったようです。そのうち、注目すべきは文暦2(1235)年に門下に加わった孤雲懐弉(こうんえじょう、1198~1280年)です。彼は道元より2歳年長です」。
「懐弉といえば、すぐに思い出されるのが『正法眼蔵随聞紀』です。この書は、彼が師の道元の言葉を記録しておいたものです。道元の主著は、もちろん『正法眼蔵』です。しかし、その『正法眼蔵』だって、じつは懐弉の編集によるものです。懐弉なかりせば、ひょっとしたら道元は忘れられた仏教者になっていたかもしれません。それほど懐弉の存在は大きいのです。危うく言い忘れるところでしたが、道元の没後に永平寺の伽藍を整えたのも懐弉でした。ときどき、『正法眼蔵随聞紀』は弟子のつくったものだから、道元がみずから執筆した『正法眼蔵』よりも価値が劣る。本当に道元を知りたいのであれば、『正法眼蔵』を読むべきだ。そう言われる人がおいでになります。それはその通りです。が、なんといっても読みやすいのは『正法眼蔵随聞紀』であって、取っ掛かりとしては『正法眼蔵随聞紀』から始めてよいでしょう。・・・わたしは、懐弉の存在を高く買っているので、『正法眼蔵随聞紀』もすぐれた書物だと信じています」。
第3は、道元が永平寺で行おうとしたのは、後継者育成だったこと。
「北越入山以後の道元を、『出家至上主義者』になったと評するのはまちがいではありません。しかし、その出家者というのを、現在の日本にいる職業的僧侶(パート・タイムの出家者)のイメージで捉えるのはまちがいです。道元が言っている『出家者』とは、結婚もせず、住居も持たず、職業も持たず、ただひたすら修行に明け暮れる、フル・タイムの修行僧です。・・・では、フル・タイムの修行僧を養成するには、どうすればよいでしょうか? それは、――釈迦世尊が在世のことにインドにあった理想の修行道場――を日本につくることです。・・・24時間修行に明け暮れる修行僧さえいれば、悟りは問題にならないのです。だから、フル・タイムの修行僧の養成だけを、道元は考えたのでした」。
「道元は、彼の考える真の仏法・純一の仏法を実践してくれるフル・タイムの修行者を育成するために、京都を遠く離れた北越の地に移ったのです。・・・その地において、彼はフル・タイムの仏教者であることを志し。またフル・タイムの仏教者となろうとする人間を育てようとしました。これは、これまでの日本の仏教者の考えなかったことです。その意味において、道元は日本における最もユニークな仏教者といえるでしょう」。