孔明と仲達、両雄相譲らず、総力を挙げての対決が続く・・・【山椒読書論(605)】
横山光輝のコミックス『三国志』(横山光輝著、潮出版社、希望コミックス・カジュアルワイド、全25巻)は、羅貫中の小説『三国志演義』→吉川英治の小説『三国志』の流れを汲んでいる。
「第24巻 祁山の戦い」――。仲達の謀略が功を奏し、帝位を狙っているという噂を流された孔明は、有利に進めている魏との戦いを中止して成都に引き揚げることを命じられる。「蜀軍は無念の涙をのんで、総引き揚げを始めた」。「仲達がこの機を見逃すはずはなく、魏軍は一丸となって陣より打って出た」。
孔明に裏をかかれることを恐れた仲達は、追撃を諦める。「司馬懿仲達が物をよく識っているゆえに、孔明のこの策は通じた。孔明は一騎も失うことなく、漢中への総引き揚げに成功したのである」。
「すまぬ、丞相(孔明)・・・。実は宦官のすすめるままに、不覚にも丞相を呼び戻してしもうた。今の丞相の言葉を聞き、取り返しのつかぬことをしてしもうたと思っている」。愚かなり、劉禅! 「(劉禅は)すっかり肥満し、顔が酒で油ぎっている。側近は遊びしか教えておらぬとみえる」。「お姿を見て、噂を耳にすると、陛下(劉禅)は酒と女の日々なそうだの」。
「かくして、孔明は決意を新たに漢中へ引き返した」。
「(成都に戻った)孔明は内政に力を入れ始めた。農民をいたわり、灌漑に力を入れ、また悪徳官吏には庶民よりも厳罰でのぞみ、宮中の空気の一新をはかった。こうして、3年間で蜀の国力を見違えるほど充実させた」。
魏を討つ好機と考えた孔明は、再び北伐に向かう。「人生50年と申します。それがしとて天寿には逆らえませぬ。魏を討つは容易なことではなく、この機を逃して、次にいつ北伐に向かえるか・・・」。「建興12(234)年春2月、孔明は成都を出発した」。勢揃いした総勢34万。
「孔明は3年間で蜀の国力を充実させたが、魏もまた同じであった。兵を調練し、軍備を整え、その力は強大なものとなっていた」。仲達のもとに馳せ参じた魏の精鋭45万。
「両軍は再び渭水をはさんで対峙した」。
「将がみんな小つぶになってしまった。魏や呉がうらやましい」。
「(蜀呉同盟に基づく)序戦の大敗は呉に大きなショックを与えた。三路より攻め入り、蜀と力を合わせて魏を数ヵ月で滅ぼすという目算は大きく狂ったのである」。
「孔明も胡蘆谷へ向かった。この時、孔明は54歳であった。昔は人生50年といわれ、そう長生きはできなかった。孔明はその年齢をすでに過ぎている。さらに長年の戦で兵は疲れ、蜀軍の中に魏延のような不平分子も出始めた。このままいつまでも動かぬ魏軍と睨みあってるわけにはいかなくなった。孔明がややあせりを感じ出していたのは否めない事実であった」。