習近平の父・習仲勲は、二度も、鄧小平の陰謀によって失脚させられた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2425)】
シャコバサボテン(クリスマス・カクタス。写真1~4)が咲いています。
閑話休題、『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐――裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史』(遠藤誉著、ビジネス社)には、驚くべきことが書かれています。
「毛沢東(1893~1976年)は西北革命根拠地が築かれていたことを、この上なく喜び感謝した。この西北革命根拠地を築いた者の中に、習仲勲(1913~2002年)がいる。のちに習近平(1953年~)の父親になる人だ。毛沢東は習仲勲を『諸葛孔明より賢い』と高く評価し、その先輩である西北革命根拠地の高崗(1905~1954年)を自分の後継人にしようとしたほどである」。
「ところが新中国が誕生してまもなくすると、高崗は『謀反を企てた反党分子』として追及され、1954年に自殺してしまった。高崗に謀反の計画ありと毛沢東に密告したのは鄧小平(1904~19997年)と陳雲(1905~1995年)だ。1962年になると、今度は小説『劉志丹』を使って、当時、国務院副総理にまで昇進していた習仲勲がやはり謀反を起こそうとしているとして失脚してしまう。・・・(習仲勲は)16年間も獄中生活を強いられた」。
「(著者が)このたび『高崗事件』を徹底して解剖したところ、とんでもない事実が判明した。それは鄧小平が野心に燃えて、自分が天下を取るために、高崗を陥れるための謀を陳雲と示し合わせて展開していたという事実である。・・・鄧小平は、毛沢東が西北革命根拠地の革命家たちを重視するのを抑え込もうと悪知恵を働かせていたのである。事実、高崗が自殺したあと、鄧小平は中央書記処総書記に就任するなど出世街道を走り始めた。『高崗事件』の犯人は鄧小平だったのである。・・・だとすれば鄧小平は同様に、小説『劉志丹』を利用して西北革命根拠地を築いた習仲勲を陥れようとしたのではないか。西北にいた者はすべて『消して』しまわなければ自分の出世の邪魔になると思ったのではないのだろうか。・・・鄧小平が閻紅彦と組んで習仲勲失脚のための陰謀を謀ったことが、今般の分析の結果、判明したのである。事実、習仲勲のすべての職を奪う決議をした会議が終わったその夜、閻紅彦は鄧小平宅を訪れて祝杯を挙げている」。
「1978年2月に政治復帰した習仲勲の第1の赴任地は広東省だった。・・・鄧小平の陰謀により1990年に再び政治舞台からの失脚を余儀なくされた」。
「習近平は鄧小平への復讐をする際に、『父親の仇を討つのを優先するのか、それとも一党支配体制維持を優先するのか』という選択を迫られる場面に何度も出くわしている。そのとき習近平は『一党支配体制の維持』を最優先事項に置く要素があることを見逃してはならない。つまり習近平の弱点は『親の思いを裏切って一党支配体制を優先した』というところにあり、ここは『脆弱性』を持っている。習仲勲は死ぬまで『少数民族を愛し大切にした』だけでなく、・・・(再失脚の)前日まで『異なる意見を取り入れなければならない。その法律を制定せよ』と会議で訴え続けた。習近平はこれを否定しているのだから『良心の呵責』にさいなまれているはずだ。ここに習近平政権の脆弱性が潜んでいるので、一党支配体制を揺るがすには、そこを突くと良いだろう」。
著者の優れた調査力・分析力には脱帽だが、習近平の脆弱性に期待する姿勢は、あまりに楽観的過ぎると、私は考えています。