運命の昭和20年8月15日に至る緊迫のドキュメント・・・【情熱の本箱(395)】
『日本のいちばん長い日(決定版)』(半藤一利著、文春文庫)には、日本の無条件降伏を骨子とするポツダム宣言を受諾して戦争を終わらせようとする者たちと、そうはさせじと画策する者たちの緊迫したやり取り、刻々と変化する様相が、ドキュメンタリー・タッチで描かれている。
東郷外相からポツダム宣言の報告を受けた天皇は、こう述べた。「ともかく、これで戦争をやめる見通しがついたわけだね。それだけでもよしとしなければならないと思う。いろいろ議論の余地もあろうが、原則として受諾するほかはあるまいのではないか。受諾しないとすれば戦争を継続することになる。これ以上、国民を苦しめるわけにはいかない」。
「政府は外交工作と軍の旺盛なる抗戦意識の間にはさまれて、両立しえない事態に立つことになった」。
8月6日の広島への原爆投下の報告を東郷外相から受けた天皇は、こう指示した。「このような武器がつかわれるようになっては、もうこれ以上、戦争をつづけることはできない。不可能である。有利な条件をえようとして大切な時期を失してはならぬ。なるべくすみやかに戦争を終結するよう努力せよ。このことを木戸内大臣、鈴木首相にも伝えよ」。
「(御前会議で)降伏は決定された。8月10日午前2時30分をすぎていた」。「陸軍中央は聖断下るを聞いて驚愕した。まったく予期しないではなかったが、いちばん恐れていたものが現実となって、幕僚は猛り狂ったのである」。「日本帝国は降伏へ向って歩みはじめた」。「ソ連軍の侵攻は樺太、満州でつづき、関東軍総司令部は通化に移動した」。「陸軍中央の抗戦派幕僚らによるクーデター計画は詳細に練りあげられている」。
「阿南陸相の想いは複雑であった。すでにクーデター計画が秘密裡に策定されつつあるのは承知している。一触即発の状況にあった」。
8月14日の御前会議で天皇が発言した。「このさい、自分のできることはなんでもする。国民はいまなにも知らないでいるのだから、とつぜんこのことを聞いたらさだめし動揺すると思うが、自分が国民に呼びかけることがよければ、いつでもマイクの前にも立つ。ことに陸海軍将兵は非常に動揺するであろう。陸海軍大臣がもし必要だというのならば、自分はどこへでもでかけて親しく説きさとしてもよい」。
「宮城占領計画は画餅に帰した。しかし、計画は終ったが、実行の方はなおつづいていた。大隊長、中隊長たちは兵をひきい、宮内省内の捜索をなおつづけていたのである。第一大隊、第三大隊の数多くの将兵が録音盤捜索に手わけして当った」。「襲われたのは首相官邸ばかりではなかった。4時半、すっかり夜も明けはなたれたころ、放送会館は叛乱軍近衛第一連隊の第一中隊の将兵によって包囲されていた」。「放送会館が占領されたとなれば、天皇放送が不可能になる。知らせをうけた高橋部長は顔色を失った」。椎崎中佐、畑中少佐、古賀少佐たち抗戦派の青年将校たちは天皇の終戦の言葉の録音盤を奪って、放送を阻止しようと必死だったのである。
「(宮城内の者たちは)はじめて全貌をたがいにつかむことができたのである。森師団長が殺害され、ニセの師団命令によって軍隊が動き、近歩二連隊の主力である第一、第三の二個大隊が宮城内の要所を占拠した。しかし、それもまもなく東部軍によって鎮圧せられるであろう・・・というものであった。(叛乱軍の)首謀者が少数であることも明らかになった」。
8月15日正午、「『君が代』が終ると、天皇の声が聞えてきた。『朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク・・・』」。・・・天皇は、会議室のとなり控室の御座所にあって、椅子に坐ったままご自身のラジオの声に聴入っていた。うつむいて、身体を固くして・・・。侍立する侍従たちがはっとするほどにその表情には力がなかった」。
玉音放送がラジオから流れるまでに、裏面でこれほど切迫した事態が展開されていたとは!