荒涼とした暗鬱なアッシャア家を訪れた「私」が経験した陰々滅々たる恐ろしい物語・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2519)】
ウメが芳香を漂わせています。
閑話休題、『アッシャア家の崩壊』(エドガー・アラン・ポー著、佐々木直次郎訳、新潮文庫『黒猫・黄金虫』所収)は、荒涼とした暗鬱なアッシャア家を訪れた「私」が経験した陰々滅々たる恐ろしい物語です。
「雲が重苦しく空に低くかかつた、陰鬱な、暗い、寂寞たる、秋の日の終日、私はただひとり馬に跨つて妙にもの淋しい地方を通り過ぎて行つた。そして黄昏の影があたりに迫つて来る頃、漸く憂鬱なアッシャア家の見えるところへまで来たのであつた」と始まります。
「手綱を制して馬を、この家の傍に静かな光を湛へてゐる黒い不気味な沼の嶮しい崖縁に近づけ、灰色の菅草や、うす気味の悪い樹の幹や、うつろな眼のやうな窓などの、水面に映つてゐる倒影を見下した、――が、やはり前よりも更に慄然として身震ひするばかりであった」。
「私には彼(=私の少年時代の親友で、永い年月を経た今回、私の訪問を懇請してきたアッシャア家の主人、ロデリック・アッシャア)が或る異常な種類の恐怖の虜になつてゐるのがわかつた。『僕は死ぬのだ』と彼は言ふのだつた。『こんな惨めなくだらないことで僕は死なねばならんのだ。かうして、他のことではなく必ずかうして、死ぬことになるだらう。僕は未来に起ることを、それだけとしては別に恐れないが、その結果が恐ろしい。この堪へ難い心の動揺に影響するやうなことは、どんなに些細なことでも、考へただけでぞつとする。実際、僕は危険を厭ふのではない、ただその絶対的の結果――恐怖、といふものを厭ふ。こんな弱りはてた――こんな哀れな有様で――あのもの凄い『恐怖』といふ幻影と闘ひながら、生命も理性も共に棄てなければならん時が、遅かれ早かれ必ず来るのを感ずるのだ』」。
遂に、身の毛がよだつ恐ろしいことが起こり、最後は、「ぢつと見てゐるうちに、この亀裂は急速に広くなつた。―― 一陣の旋風が凄じく吹いて来た。――月の金輪が忽然として私の眼前に現はれた。――巨大な壁が真二つに崩れ落ちるのを見た時、私の頭はぐらぐらとした。――幾千の怒涛の響のやうな、長い、轟々たる、叫ぶやうな音が起つた。――そして、私の足もとの、深い、どんよりとした沼は、『アッシャア家』の破片を、陰鬱に、音もなく、のみこんでしまつた」と結ばれています。
これはもう、エドガー・アラン・ポーでなくては、とても醸し出せない不気味な世界です。