アダム・スミスさん、あなたの経済学からは、あなたの食事を作り続けたお母さんの家事労働が漏れていますよ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2527)】
フサアカシア(ミモザ。写真1~3)、コブシ(写真4~6)、ハクモクレン(写真7)、ハナモモ(写真8~10)、ハナニラ(写真11、12)が咲いています。我が家の庭師(女房)が、庭の片隅でリュウキンカ(写真13)が咲いているわよ、と教えてくれました。
閑話休題、『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?――これからの経済と女性の話』(カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳、河出書房新社)は、女性の働きを含めた経済学、フェミニスト経済学の必要性を主張しています。
「1776年、経済学の父と呼ばれるアダム・スミス、現代の経済学を決定づける一文を書いた。『我々が食事を手に入れられるのは、肉屋や酒屋やパン屋の善意のおかげではなく、彼らが自分の利益を考えるからである』。アダム・スミスによれば、肉屋は顧客を満足させるために働くが、それは結局お金を手に入れるためである。酒屋もパン屋も、人を喜ばせるめではなく、利益を上げるために働いている。おいしいパンができれば、たくさんの人がそれを買うだろう。だからパン屋は、買ってもらうためにおいしいパンを焼くのだ。買った人がおいしい食事を楽しむどうかは関係ない。それはモチベーションにならない。人を動かすのは、利己心だ。利己心は信用できる。しかも尽きることがない」。アダム・スミスは自由市場こそが効率的な経済の鍵だと説いたのです。利己心が世界を動かすというのです。
「アダム・スミスは生涯独身だった。人生のほとんどの期間を母親と一緒に暮らした。母親が家のことをやり、いとこ(女性)がお金のやりくりをした。・・・母親は死ぬまで息子の世話をしつづけた。そこにアダム・スミスが語らなかった食事の一面がある。肉屋やパン屋や酒屋が仕事をするためには、その妻や母親や姉妹が来る日も来る日も子どもの面倒を見たり、家を掃除したり、食事をつくったり、服を洗濯したり、涙を拭いたり、隣人と口論したりしなければならなかった。経済学が語る市場というものは、つねにもうひとつの、あまり語られない経済の上に成り立ってきた」。
「アダム・スミスが答えを見つけたのは、経済の半分の面でしかない。彼が食事にありつけたのは、商売人が利益を求めて取引したためだけではない。アダム・スミスが食事にありつけたのは、母親が毎日せっせと彼のために食事を用意していたからだ」。
このほか、「ロビンソン・クルーソーはなぜ経済学のヒーローなのか」、「ナイチンゲールはなぜお金の問題を語ったか」、「経済人にさよならを言おう」などの章も、フェミニスト経済学の視点から綴られています。
「フェミニスト経済学は、市場経済の外にあるものを含めて、社会全体がどう維持・運営されるかを考えます。私たちが生活できるのは、そして食事を食べられるのは、アダム・スミスのいう『自己利益の追求』のためだけではありません。家事労働があり、人とのふれあいがあり、ケアがあってはじめて、社会は機能するのです。経済人が目を背けてきた『依存』や『分配』にここで光が当てられます」と、訳者が上手にまとめてくれています。