鳥獣戯画の作者は宮廷絵師か、それとも絵仏師か・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2638)】
カワラヒワ(写真1、2)の鳴き声で目が覚めました。ニホンカナヘビ(写真3~5)、カマキリの幼虫(写真6)、ハキリバチ科の一種(写真7)、チャバネアオカメムシの幼虫(写真8)、アオバハゴロモの幼虫(9~11)、オオアオイトトンボの雄(写真12)、ヒカゲチョウ(写真13)をカメラに収めました。
閑話休題、論文集『鳥獣戯画研究の最前線』(土屋貴裕編著、東京美術)には、刺激的な論文が収められています。
とりわけ興味深いのは、●鳥獣戯画の作者は宮廷絵師か絵仏姉か、●作者は鳥羽僧正か、●鳥獣戯画の甲・乙巻と丙巻のいずれが先に描かれたのか、●鳥獣戯画は明恵時代の高山寺に存在したのか――の4点です。
●作者
「現状では、甲巻前半グループと甲巻後半・乙巻グループは、こうした樹木の描写など作画の基本を共有する、極めて近い関係にある絵師によって描かれたとみるのが妥当なところだろう。つまり甲巻前半と甲巻後半及び乙巻は、絵師は異なるものの描かれた環境や時代に大きな隔たりはないと解することができる」。
「筆者としては、丙巻人物戯画は『伴大納言絵巻』など宮廷絵所系の作例ではなく、絵仏師の関与が想定される作品と接点を持つと考える」。
「『鳥獣戯画』に用いられた料紙は主に寺院内で用いられたもので、しかも必ずしも上質のものではないということである。このことは『鳥獣偽果』四巻が寺院圏で制作されたことの物質的な証として、本絵巻の研究史上きわめて重要な意味を持っている」。
「筆者は、『鳥獣戯画』や高山寺の古記録類から、本作は仁和寺周辺で作られたのではないかとする仮説を以前提示した。・・・院政期の仁和寺は天皇の皇子たちが入室して宗教面から王権を支えたが、なかでも丁巻が作られたと思しき12世紀末から13世紀初頭に仁和寺門跡第六世を務めた守覚法親王(後白河院の息子)は注目される」。
「鳥羽僧正覚猷は、12世紀前半に活躍した園城寺の高僧であるが、彼が実際にこうした鑑賞用の戯画を描いたことは、近接時代の諸記録にも載っており、ほぼ疑いない所である。このような状況証拠の結果として『鳥獣戯画』の作者が鳥羽僧正に比定されるに至ったわけである。・・・寺院との関係を傍証すると考えられる要素として、『鳥獣戯画』が類書・往来物・物尽しとしての性格を帯びている点を指摘した。これらは、童蒙の初等教育用図書としての側面があり、この需要が教育施設としての寺院を中心に大衆を射程にしたものであったことを推測させるのである」。
●各巻の制作時期
「従来、丙巻は上記の年代観から鎌倉時代制作とされてきたが、筆者はこれを平安時代の制作、しかも甲乙巻に先行する可能性があるのではないかと考えている」。
●鳥獣戯画と明恵の関係
「高山寺経蔵は『中世の巨大総合図書館』であった。その背景には、明恵における学問の重視があった。明恵は学問を通して釈尊に近づこうとした。高山寺では学問の尊重が伝統的に受け継がれており、『高山寺は学問寺である』と言うことができる。・・・『だから、(鳥獣戯画は)明恵の頃から(高山寺に)あったはずだ』ということには当然ならないが、『高山寺聖教目録』に見えないから『鳥獣戯画』はその時点で高山寺になかったというのは短絡であろう。存在していて目録に載らないことは十分に有り得る」。
本書のおかげで、鳥獣戯画に関する知識を格段に深めることができました。