坂口安吾の徳川家康論・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2805)】
東京・文京の小石川後楽園では、ウメ(写真1~3)が咲き始めています。因みに、本日の歩数は11,777でした。
閑話休題、『小説集 徳川家康』(鷲尾雨工、坂口安吾他著、作品社)に収められている坂口安吾の『家康』は、小説というより評論と呼ぶべき内容です。
「徳川家康は狸オヤジと相場がきまっている。関ヶ原から大坂の陣まで豊臣家を亡すための小細工、嫁をいじめる姑婆アもよくよく不埒な大狸でないとかほど見えすいた無理難題の言いがかりはつけないもので、神君だの権現様だの東照公だのと言いはやす裏側で民衆の口は狸オヤジという。手口が狸婆アの親類筋であるからで、民衆のこういう勘はたしかなものだ」と始まります。
「けれども家康が三河生来の狸かというと、そうは言えない。晩年の家康は誰の目にも大狸で、それまで家康は化けていたというのだが、五十何年も化けおおせていた大狸なら最後の仕上げももうすこしスッキリとあかぬけていそうなものだ。関ヶ原から大坂の役まで十年以上の時日があり、その間家康はすでに天下の実験を握っており、諸侯の動きもほぼ家康に傾いていて、彼が大狸ならもっとスッキリやれた筈だ。十年余の長い時間がありながら彼のやり方は如何にも露骨で不手際で、まったく初犯の手口であり、犯罪の常習者、あるいは生来の犯罪者の手口ではなかったのである」と続きます。
「根は律儀で、ただいつ死んでもいいという度胸の生みだした怪物的な影がにじんでいるだけである」。
「彼が始めて天下をハッキリ意識したのは関ヶ原に勝ってからだ。ここで始めて慾というものがでてきた。其時までは肚をきめて一々の現実に対処するのが精一杯というだけのことであった。保守家で温和で律儀な男が、はからずも自然に天下を望む最前線へ押しだされてしまったので、保守家で事なかれの小心者でも往々にして野心を起して投機などにひっかかるのは世の中に良くある例だが、こういうてあいが慾にからみ我を失うとあくどいことをする」。
「政治家としては新味もなく政策も平凡な保守家で、ただ間違いがないという点で結局保守党の領袖にはなる人であったろう。然し、いざという時に際して、いのちを賭けて乗りだしてくる気魄だけは稀であり、その賭博が野心に賭けられているのでなく、ただ現実を完うするだけの小さな現実の誠意にかかっている点で、珍重すべきものであったと思われる」。
「古狸よりは、むしろお人好しの然し図太いところもある平凡な偉人であったようだ」と結ばれています。
坂口にこう言われると、実際の家康はこういう人物だったのかもと思えてくるが、ひょっとしたら、坂口は自身を家康になぞらえているのではないか――そんな気がしてきました。