榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

村上春樹とクラシック・レコードについて語り合っている気分になる本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2872)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年2月26日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2872)

小林一茶寄寓の地の一茶双樹記念館(写真1~4)、秋元双樹の墓(写真5~7)を訪れました。そのすぐ近くの「杜のアトリエ黎明」では、ひなまつりが開催されています(写真8~11)。ジンチョウゲ(写真12~14)が咲き始めました。ウメ(写真15、16)が芳香を漂わせています。

閑話休題、『更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち』(村上春樹著、文藝春秋)には、村上春樹のクラシック・レコード愛が溢れています。

「僕としては、うちの書斎にお招きして、スピーカーの前のソファに座っていただき、『ほら、こんなレコードもうちにあるんですよ』とジャケットを見せて、音楽をお聴かせするような気持ちでこの本を書いた。だから肩の力を抜いて、お茶でもすすりながら、リラックスした気持ちで、この本のページを繰っていただければと思う」。

●J・S・バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータBWV1001-1006
「この本はベスト盤を選ぶ趣旨のものではないが、この曲に関しては僕の個人的なお勧めは最初から決まっている。ミルシテインの演奏だ。何度聴いても心に浸みる。『無欲』『無我』とでもいえばいいのか、弾いている人間がすっかり透き通って、向こうが見えてしまうみたいな感じだ。エゴがきれいに昇華され、純粋な音楽だけが残る・・・僕はこの演奏に耳を澄ませるたびに、そんな印象を抱いてしまう。巨匠が70歳にして達した至高の境地というべきか」。

●モーツァルト ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
「モーツァルトの短調で書かれた2曲のピアノ協奏曲のうちのひとつ。どちらも心に残る素敵な曲だ。今回は1950年代に吹き込まれたモノラル盤に範囲を絞って選んでみた。まずはソロモン。メンゲスの指揮するフィルハーモニアは、ぐっと引き締まった出だしでこの曲を切り出す。そこにソロモンのピアノがすらりと絡んでくる。このへんの呼吸はさすがに素晴らしい。この曲は出だしで聴き手の心をつかまないと、うまくあとが流れていかない。第1楽章のカデンツァは珍しくサン・サーンスの作ったものを使用しているが、これがなかなか面白かった。ソロモンのピアノは決して強靭というのではないが、曖昧なところがなく、音のひとつひとつに表情があり、最後まで飽きずにみっちり聴かせる。録音はさすがに古さを感じさせるが、それでも聴かせどころは歳月を越えてしっかり生きている。ソロモンの弾く短調は、緊迫性というより、淡い悲しみと諦観みたいなものを感じさせる」。

●J・S・バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 BWV988
「ピーター・ゼルキンはグールドの影響を正面から受けた世代のピアニストだ。・・・ピーターの演奏にあって、グールドのそれにないもの――それは傷つきやすい青年の感受性だ。グールドに傷つきやすい心がないと言うわけではない。しかしグールドには対峙して『攻めるべきもの』が外にある。それに対して、18歳のピーターがじっと静かに目を注いているのは自己の内面だ。彼の『ゴルトベルク』を聴いていると、若き心臓の鼓動が耳元で聞こえてきそうだ。そこがこのレコードの聴き所となり、魅力となる。ピーターのこの演奏をひっそり大事に聴き続けている人も、決して少なくないだろう。僕もその一人だ。・・・さて、グールド。新旧どちらの録音も見事で、どちらかひとつといわれても困ってしまうのだが、僕としては(レスター博士とは違って)新録の深い円熟よりは、やはり1955年盤の鮮やかな衝撃を取りたい。グールドはこのデビュー・レコードで、音楽世界のお膳をあっさりひっくり返した。これは10点満点で採点できるような音楽じゃない。それを耳にした人の皮膚に染み込み、跡を残していく音楽だ。これほど迷いのないまっすぐな音楽にはまずお目にかかれない。あくまで勝手な想像に過ぎないが、ひょっとしてバッハ自身はこんな風に演奏したのではなかったか?」

村上春樹というのは、本当に幸せな人だと思います。文学であれ何であれ、自分のやりたくないことは決してせず、やりたいことだけをしてきた人だからです。本書を読んで、そう再認識しました。