探検家が探検していない時に考えていること・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2933)】
ホンシャクナゲとセイヨウシャクナゲは、葉で見分けることができます。ホンシャクナゲ(写真1、2)は葉の幅が狭く、葉の両端が裏側へ丸く反っていて、葉裏が茶色、一方のセイヨウシャクナゲ(写真3、4)は葉の幅が広く平らで、葉裏が緑色です。バイカウツギ(写真5~7)、シャリンバイ(写真8、9)、ローズマリー(写真10)が咲いています。
閑話休題、探検家・角幡唯介のエッセイ『探検家の憂鬱』が読みたくて、エッセイ集『ベスト・エッセイ2012』(日本文藝家協会編、光村図書出版)を手にしました。
「探検家などという勇ましい肩書で商売をしていると、人からは沢田研二が『サムライ』で歌ったようなロマンティックでストイックな人間だと思われることが多い。世間的な幸せには背を向けて、肩で風切って荒野を目指す、そういう自分の理想に殉じるような人間像だ。確かに私が時折過酷な探検旅行に出かけることは間違いないので、その見方を否定しようとは思わないが、だからといって、それが決して正確であるというわけでもない。実は私は昔から人一倍、世間的な幸せというやつに憧れてきた人間で、心の中には常に女と幸せに暮らすことへの羨望があった。しかし一方では、それに対する気恥ずかしさや抵抗感みたいなのも同居しており、両者はいつも一進一退の攻防を続けてきた。若い頃はわが道を行こうとする気概が優勢で、幸せへの憧れを押さえつけてくれていたので、この問題にふたをすることができていた。しかし最近ではどうも、憧れの方がやや押し気味の展開を見せているような気がする」と始まります。
このエッセイを綴った時、35歳の角幡は、女性と知り合うべく、機会があれば積極的にコンパを仕掛けるが、最近は滅法戦績が悪くなったと嘆きます。「もし年齢と職業がネックになっているというこの推測が正しいのであれば、長年憧れてきた世間的な幸せを私が享受する可能性は、これからいよいよしぼんでいくことになるだろう。年齢だってサバを読むわけにはいかないし、いまさら気持ちを入れかえて銀行員とか商社マンになるのも無理な話だ。そんなことに最近ようやく思い至り、私は焦りを感じ始めた。自分はもう世間的な幸せを手に入れることができないのかもしれないと思うと、ものすごく暗い気持ちになるのである」と結ばれています。
探検家が女性にもてるとは限らないことが、よ~く分かりました。子供の頃、デイヴィッド・リヴィングストンに憧れて探検家になりたいと夢見たことがあったが、ならなくてよかった!