季語は俳句の生命線?・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2999)】
コフキトンボの雄と思われる個体(写真1、2)、雌の雄型と思われる個体(写真3)、雌のオビトンボ型(写真4、5)、ノシメトンボ(写真6)、コミスジ(写真7、8)、ヒカゲチョウ(写真9)、ジャノメチョウ(写真10)、ホタルガ(写真11)、シラホシハナムグリ(写真12)、ハラビロカマキリの卵鞘(写真13)、ニホンアカガエルの幼体(写真14)をカメラに収めました。ヤマユリ(写真15)、ハス(写真16~18)、ビロードモウズイカ(写真19)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,792でした。
閑話休題、『文学がもっと面白くなる――近代日本文学を読み解く33の扉』(金井景子・金子明雄・紅野謙介・小森陽一・島村輝著、ダイヤモンド社)で、個人的に、とりわけ興味深いのは、●あなたは何が欲しいのですか?――描かれたセクシュアリティ、●季語は俳句の生命線?――シミジミ日本の貪欲なコレクションをめぐって、●文学に感動することとは――自分のテイストと出会うために、の3つです。
●あなたは何が欲しいのですか?――描かれたセクシュアリティ
「現代の文学において、性欲の主題そのものに内在する武者小路(実篤)的構図を、武者小路的ともいえる率直さで真正面から切り崩そうと試みているのは松浦理英子である。長編小説『親指Pの修業時代』は、ある日突然右足の親指がペニス(のようなもの)になってしまった若い女性の物語である。その特異な器官によって、ヒロイン(?)真野一実は性をめぐる遍歴の旅にいざなわれ、性愛の通念の全面的なくみかえを余儀なくされる。・・・問題の核心は、妙に生硬で観念的な装いを帯びる一実の独白の論理的な説得力ではない。この小説を読むことが読者の中にある性愛に関わる感受性に従来の小説とは異なる次元の経験をもたらすかどうか、端的にいってしまえば、程度の差はあれ、この小説によって読者の性愛のあり方が変わるという事件が生じるかどうかが問題なのだ。そのような事件が生じたとき、新しい性の概念が、これまでの小説の枠を突き破る新しい表現を獲得したということができるだろう。性をめぐる表現は、文学そのものを変えるパワーを潜在させたスリリングな領域なのである」。
●季語は俳句の生命線?――シミジミ日本の貪欲なコレクションをめぐって
「▶しんしんと肺青きまで海の旅――篠原鳳作、▶水枕ガバリと寒い海がある――西東三鬼、▶遺品あり岩波文庫『阿部一族』――鈴木六林男、▶日が/落ちて/山脈といふ/言葉かな――高柳重信 いずれも無季の句だが、海を前に立つ胸、水枕の音を聞く耳、遺品の文庫本に釘付けになる眼、日没の山脈に向かう体は、確かに『その時・その場所』に読む者を誘う。特定の季節の情緒にバックアップされないで立つ、一行の詩がそこにはある。そしてバックアップされないで立つことの危うさも、この百年の歴史は教えてくれている。・・・俳句の愛好家人口が、200万とも300万とも言われる現在、句界では『現代俳句協会』『俳人協会』『日本伝統俳句協会』の3派がしのぎをけずっている。『現代俳句協会』は無季や非定型を認める進歩派、『俳人協会』は有季定型を守る限定派、『日本伝統俳句協会』は高浜虚子の提唱した花鳥諷詠を指針として、有季定型を厳密に守る虚子派と見ることができる。季語が俳句の生命線であるかどうかは、いまだ決着がつかぬまま、季節は巡っていくのである」。
●文学に感動することとは――自分のテイストと出会うために
「システムを崩す言葉、日常を異化する言葉、常識をずらし驚きを発生させる言葉、反復の中に不意打ち的に差異を持ち込む言葉、内部から外へ出、外を内部に持ち込む言葉。それがおそらく文学の力だ。普遍化すればそうなるが、一人一人の感情がどう動くかは、まさに個別的な状況にかかっている。いま・ここを生きている個別自分にとって、最も必要な、いや最も快い空気を送り込んでくれる小説や詩だけに、感情を動かせばいい、ということだけなのだ。『感動ぶりっこ』は文学とは無縁である」。