榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

隋、唐の母体ともいうべき北方遊牧民・鮮卑の拓跋部が建国した北魏の興亡・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3080)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年9月23日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3080)

アオサギとカルガモ(写真1)、ハクセキレイ(写真2、3)、ノシメトンボ(写真4)をカメラに収めました。

閑話休題、『中華を生んだ遊牧民――鮮卑拓跋の歴史』(松下憲一著、講談社選書メチエ)のおかげで、隋、唐の母体ともいうべき北方遊牧民・鮮卑の拓跋部が建国した北魏の興亡について知ることができました。

「(鮮卑の)拓跋部は3世紀前半ばに内モンゴル南部に誕生し、4世紀後半に北魏と呼ばれる王朝を建て、6世紀前半に東西に分裂するまで、約280年にわたって活動してきた。北魏が皇帝を称してから東西に分裂するまででも136年間あり、されに北魏以降、北周・隋・唐まで拓跋部の影響はつづいたとして、これらを拓跋国家として一括する見方も提唱されており、近年の歴史教科書にも書かれるようになった」。

●神元帝のもと各地の部族を吸収して成長した拓跋部は、幾多の困難を乗り越え、北魏建国への道を歩む。

●道武帝(拓跋珪)は150年間存続する北魏の初代皇帝で、それまでの部族国家から中華王朝への転身をはかった皇帝といわれている。その重要なステップが、道武帝が断行した「部族解散」である。また道武帝が創設した独自のルールに「子貴母死」と「金人鋳造」がある。

●北魏は、第3代太武帝のときに華北統一を果たし、中華世界の半分を手に入れる。

●第6代孝文帝が、北魏を中華王朝へと大きく変貌させる。「均田制」や「三長制」を創設し、胡語・胡服を禁止し、洛陽に遷都する。孝文帝の治世で北魏は繁栄期を迎える。

●孝文帝没後、孝文帝の漢化政策に反対する北辺の民が六鎮の乱を起こす。この反乱のなかから、時代を切り開く英雄たち――北斉の高氏、北周の宇文氏、隋の楊氏、唐の李氏――が登場する。

「遊牧民が中国に入って支配したとき、それまでの中華文明を否定し、破壊したわけではなかった。かといって、圧倒的な中華文明に飲み込まれてしまったわけでもない。遊牧民は中華文明のなかから必要なものを選択して受容した。と同時に、胡俗を持ち込んだ。ここに胡俗と漢俗の融合がうまれ、あらたな中華として再生される。その繰り返しが中国の歴史である」。その最初の融合をもたらしたのが拓跋部なのです。