ブッダは輪廻、死後世界を認めていなかった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3124)】
ツツドリの幼鳥(写真1~4)、セグロセキレイ(写真5)、コバネイナゴ(写真6)をカメラに収めました。撮影助手(女房)が、小さいけれど綺麗な花よ、茎が四角いわ、とアレチハナガサ(写真8)を指差しました。クジャクソウ(クジャクアスター、アスター・ピロスス。写真9、10)、ツワブキ(写真11)が咲いています。ザクロ(写真12、13)、クチナシ(写真14)が実を付けています。ハナミズキ(写真15)が紅葉しています。我が家でも、キク(写真16)が咲き始めました。
閑話休題、『言い訳するブッダ』(平岡聡著、新潮新書)には、私の一番知りたかったことが書かれています。「何せ2500年ほど前の話ですし、ブッダに直接尋ねるわけにもいきませんから、文献を頼りに確認するしかないのですが、ブッダ自身は輪廻を認めていなかった可能性が高そうです。正確に言えば、死後世界を『ある』とも『ない』とも言わず、判断中止したということになります。実際に死後の世界があるかもしれませんが、ブッダはそれ自体を問題にしませんでした」。
「しかし仏滅後、仏教は輪廻を前提とした教理の体系化に大きく舵を切りました。これによって、輪廻は仏教の王道を歩む思想となります。これがなければ、そもそも浄土教なんてありえません。死後、阿弥陀仏の極楽に往生しようというのですから、輪廻あっての浄土教です」。
「それはともかく、ブッダの仏教は、生まれてから死ぬまでの『この生』の中で、つまりこの現実の人生の中で自己と向かい合い、自分の心を制御して、いかに苦から解脱するかを問題にしました。おそらく、これが仏教の原風景だったのではないでしょうか。じつにストイックな宗教です」。
ブッダの死後、弟子の弟子の弟子のそのまた弟子たちが、ブッダのストイックな仏教を好き勝手に変質させてしまったことに怒りを覚えます。大乗仏教はその最たるものだが、「言い訳から生まれた大乗仏教」の章では、その巧妙な手口が明らかにされています。そして、その下手人は龍樹(ナーガールジュナ)というインド人だというのです。「このように、大乗仏教の成立には龍樹が深く関与していることがわかります。それも手伝ってか、龍樹が大乗経典の制作者ではないかと疑う海外の研究者も現れました」。
「こうして大乗仏教徒は、伝統のなさを何とかカバーしようとし、あの手この手で涙ぐましい努力を重ねながら、その正統性を主張しようと頑張りました。『手口』などという下品な言葉を使ってしまいましたが、これも自分たちの信じる新たな仏教を根づかせるための『方便』だったのですね」。嘘も方便というわけです。
大乗仏教嫌いの私にとって、何とも小気味よい一冊です。