ブッダが後世の仏教を知ったなら、びっくり仰天することだろう・・・【MRのための読書論(66)】
現代の仏教はブッダの仏教か
インド北部(現在のネパール)の小国・シャカ国の王子、ゴータマ・シッダールタが、紀元前5世紀頃、その恵まれた地位、財産、妻子など全てを捨てて、「人生とは何か、どう生きるべきか」という難問を解決すべく修行を開始した。長年に亘る厳しい修行を経て、彼が辿り着いた究極の考え方が「仏教」であり、彼は彼を慕う大勢の弟子たちから「ブッダ(仏陀。悟りを開いた人)」と呼ばれるようになった。
ブッダの死後、ブッダの仏教は、ブッダの教えを忠実に守ろうとする保守的な「小乗仏教」と、ブッダの教えを拡大解釈しようとする革新的な「大乗仏教」に分かれ、さらに数多の枝分かれを繰り返して今日に至っている。因みに、いわゆる「仏教公伝(伝来)」で我が国に伝えられたのは大乗仏教のほうである。
ブッダの教えを基にしてはいるが、その後の仏教は修飾に修飾が重ねられ、煩瑣な規範が加えられ、ブッダより上位に位置する仏が新たに創出されるなど、理論としては格段に精緻になったものの、ブッダ自身の簡潔で、人間的で、分かり易い教えからは遠くかけ離れてしまったというのが、私の正直な印象だ。
日々、忙しく、悩み多き生活を余儀なくされているMRが、ブッダ本来の教えに触れてみることは、決して無駄ではないと思う。
手塚治虫のブッダ
大阪帝国大学附属医学専門部卒の医師にして、稀代の漫画家・手塚治虫は、12年かけて長編漫画『ブッダ』(全14巻)を完成させたが、そのエッセンスを一冊にまとめたのが『手塚治虫のブッダ――救われる言葉』(手塚治虫著、羽田周平解説、光文社知恵の森文庫)である。手塚のブッダに寄せる思いが凝縮しているが、あくまでも手塚が解釈したブッダ像であることを忘れてはならないだろう。手塚はブッダの魅力について、「ぼくには何よりも率直に言ってすごい哲学者だということです。いわゆる仏教の教えを説いた宗教的カリスマであるよりも、哲学者として偉大である。その深い広大な思想は歴史を超え、むしろ現代にこそ生かされなければならない。じつは最も新しい思想だと思うのです。ブッダを書いて、ぼく自身いい勉強になりました」と語っている。
ブッダの言葉
『超訳 ブッダの言葉』(小池龍之介編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、逆境に立たされたとき、追い詰められたとき、心が弱ったとき、心を支えてくれる本である。
ブッダの教えを、極めて実践的な心のトレイニング・メソッドと考える訳者の「超訳」ぶりは徹底している。例えば、「君も相手も、やがては死んでここから消え去る(法句経6)」は、「誰かと敵対して争いが生じそうになったら、しかと意識してみるといい。君も相手もやがては死んで、ここから消え去る、ということを。君以外の人々は、『自分もやがて死ぬ』という真理をうっかり忘却しているけれども、君がこの真理をはっきり意識していれば、怒りも争いも静まることだろう」といった具合である。
?ブッダの生涯
ブッダの生涯と言行を本格的に学ぼうとするとき、入門書として最適なのが『仏教百話』(増谷文雄著、ちくま文庫)だ。一問一答形式なので、私たちにも理解し易い。
例えば、「火の消えたるさまに喩えて――涅槃(中部経典72他)」は、「仏陀は、いわゆる解脱涅槃(げだつねはん)という考え方を説明した。解脱して涅槃にいたるというが、それは、死してのち天上におもむき生まれるというような考え方とは、まったく異ったものである。人々は、この世にあって、貪りの炎に燃え、怒りの炎に焼かれして、この人生を苦しいものとなしている。その煩悩のあり方を観察し、その根本を断ってしまえば、煩悩の炎は、もはや、ふたたび燃えざるものとなる。そこには、この身このままにして、清らかにして安らけき人生がおとずれてくる。それを、煩悩を解脱して、涅槃にいたるというのである」と解説されている。
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