嫌われ者の「痕跡本」こそ、推理の楽しみの宝庫だ・・・【山椒読書論(32)】
古本の場合、私はアンダーラインが引いてあったり、書き込みがしてあったり、蔵書印が押されていても、内容さえ読めれば気にしない。事実、私の書棚では、そういう本たちも臆することなく新刊書と肩を並べている。
しかし、『痕跡本のすすめ』(古沢和宏著、太田出版)には、脱帽せざるを得ない。アンダーライン、書き込み、挟み込み、傷、汚れ、ヤケ(日焼けによる退色)などがある古本に「痕跡本」という名をつけ、それらには「前の持ち主がその本と過ごした時間という『物語』が刻まれている」というのだ。その本とかつての持ち主との間の誰も知らない秘密やミステリが隠れているというのだ。痕跡本のコレクターから出発して痕跡本専門の小さな古書店を開くに至ったのだから、その打ち込み方は半端ではない。
「彷書月刊」の「追悼・司馬遼太郎」特集号のP.5には、文中の「目きき」の部分に赤字でアンダーラインが引かれ、ページの上の余白に「負けたくない」という一言が書き込まれている。著者は、たったこれだけの痕跡から、前の持ち主は資料として膨大な量の古本をまとめ買いする司馬に反感を持っていたが、司馬の突然の訃報に接した時、この雑誌によって司馬の目ききとしての古本との接し方を知り、これを書き込んだのに違いないと推理している。
『週末起業』という本の扉には、「ふつうの会社員→中小企業診断士の資格に合格→週末と夜だけ経営コンサルタント→メールマガジン発行→出版社から連載の依頼あり→講演依頼あり→企業コンサルタントの仕事舞込む→脱サラ(本業より収入が増え)」という夢が書き込まれている。著者は、「これは『週末起業』という現実の中でちょびっと夢を見る、なんて生易しいものではありません。それは、ひとりの男の成り上がり伝説でした。一見クールに見える羅列型のこの書き込みからは、葛藤と、それでもやまない夢への憧れが聞こえてくるよう。その後、この人はどうなったのか。夢は叶ったのか、それとも破れたのか。どちらにしても、この本が手放されたのは、もうこの本が必要なくなった、ということなのでしょう」とコメントしている。
太宰治の『津軽』という文庫本の奥付には、「たいくつなりし本なれど、故郷は良いなあ」という書き込みが記されている。著者の「持ち主予想」は、「時代:昭和50年代中頃、性別:男性、年齢:20代半ば、人物:中学を卒業したのち、地元でしばらく仕事をしていたが、ある日勢いで青森を飛び出し東京へ・・・、背景:この本は、おそらくなんだかんだいいながら、何度も何度も読まれたのではないか」となっている。
横光利一の『旅愁』の見返しの「我ガ愛スル書」という書き込みに対して、著者は、「巻頭に記されたこの一言は、この本への最高の敬意」と記している。