若き松本清張の驚くべき行動・・・【山椒読書論(40)】
私は松本清張の作品が好きだ。彼の反骨精神が好きだ。弱者への温かい眼差しが好きだ。仕事に取り組む姿勢が好きだ。彼の生き方が好きだ。松本清張という人間が丸ごと好きなのだ。
清張の担当編集者であった著者の手に成る『松本清張への召集令状』(森史朗著、文春文庫)には、清張の魅力が詰まっている。
一家7人を支える中年版下職人に、意外な赤紙(召集令状)が届いた。戦局が絶望的な状況にある時期での召集令状は、死を意味していた。なぜ、自分のような家族持ちの中年男が戦場に駆り出されるのか。明らかに、この召集には、懲罰的意味合いが込められていたのである。生計を立てることに追われ、在郷軍人会や職場での軍事教練に出席できなかった清張は、徴兵事務を担当する出先機関の小役人に「不真面目な、けしからん奴だ」と睨まれていたのだ。
この経験と怨念は、後に『遠い接近』(松本清張著、文春文庫)という長編ミステリーに結実する。ミステリー仕立ての、すさまじい復讐劇である。
父親から読書を禁じられ、仕事一筋の版下職人としての人生を送っていた朴訥な清張は、27歳で結婚するが、相変わらず生活は苦しい。そんな時、朝日新聞社の「近く小倉に九州支社を作り、そこで新聞を発行する」という企業広告を目にする。ここで、清張は思い切った行動に出るのである。「小倉で新聞が発行される以上は、小倉で制作する広告も掲載されるに違いない。そうなれば、新聞広告用のデザインが必要となり、版下工も必要になるだろう」と考えたが、採用募集のことを知るルートもコネもない。そこで、社告に名前が出ている支社長宛てに就職依頼の手紙を出したのである。無名の一青年の熱意を込めた手紙が支社長の心を動かし、臨時嘱託という身分ではあったが、採用されたのだ。尋常高等小学校卒の清張は、その後、朝日新聞社における厳然たる学歴差別、身分差別に苦しめられることになるが、この朝日時代に漸く読書、執筆の時間を確保できたことが、やがて大輪の花を咲かす作家の道への第一歩となったのである。
清張が文壇嫌いであったこと、古代史研究を巡って学界と対立していたことは、よく知られている。
他の作家たちから、清張は「清張工房」を作り、多くのスタッフに取材や代作をさせているに違いない、そうでなければ、あんなに多くの作品を同時進行で発表できるわけがない、という悪質な噂を広められたり、編集委員の三島由紀夫がある出版社の日本文学全集に清張は入れるべきでないと強く反対したことなどがあって、清張は、生涯、文壇とは距離を置き続けた。清張は、広く読者に支持されているのはいずれか、読者の判断に俟つという思いだったろう。一方、清張は後進の新人作家たちには心優しき先輩であった。
こういう何もかも引っくるめて、私は、松本清張という人間を、心の底から敬愛している。