粋と張り、穿ちと笑いで、理不尽時代を生き抜こう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3559)】
我が家から眺めた今年2日目の日の出(写真1)。6日間通い続けた甲斐があり、ルリビタキの雌(写真2、3)を撮影することができました。メジロ(写真4)、シジュウカラ(写真5)、コゲラ(写真6)、ヒヨドリ(写真7)、カイツブリ(写真8)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は11,987でした。
閑話休題、『蔦屋重三郎と粋な男たち!――時代を生き抜く成功作法』(櫻庭由紀子著、内外出版社)は、「仕事がつらい、モテない、結婚できない、お金がない。学歴がない。それがどうした。粋と張り、穿ちと笑いで、一億総理不尽時代を生き抜こう」と呼びかけています。
本書のおかげで、蔦屋重三郎の生き方からヒントをいくつも得ることができました。
●江戸っ子重三郎33歳、吉原極小版元から頂点へ。「粋」と「意気地」で成し遂げた、下剋上であった。
●生まれで身分が決まってしまう時代、「てやんでィ、べらぼうめ」で世の中を渡り切ってしまう庶民たち。重三郎が出す本は大衆にことごとく売れた。なぜなら、江戸っ子の本領とする「粋」と「張り」と「笑い」があり、その笑いとなる「穿ち」や「滑稽」は、大衆の代弁でもあったからだ。権力者にとって、これほど面倒なものはなかろう。
●今日を生きることが精一杯なのは、庶民たちだけではなかった。下級武士たちも、大衆と同じく貧乏と理不尽を笑い飛ばし、粋と張りで生きていかねばならなかったのだ。
●重三郎には信念を貫くという「張り」があったから、「勇気」や「伊達」を発揮せねばならず、その結果として「粋」が出る。重三郎の結果は、出版物でありプロデュースしたクリエイターたちで、そのクリエイターが生み出した作品だ。
●寛政の改革で処罰を受け、浮世絵の発行をメインにシフトした重三郎が、最後に賭けた切り札が「東洲斎写楽」だった。写楽の正体は、現在では、阿波徳島藩主の蜂須賀家お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛という説が有力となっているが確証はないままだとして、著者・櫻庭由紀子は、写楽=葛飾北斎説を展開している(しかし、私は斎藤十郎兵衛説を支持しています)。
●重三郎は辞世を残していないが、<馬上未撃析何其晩也>(芝居が終わったのにまだ拍子木が鳴らないなんて、遅いじゃないか)という最期の言葉が伝わっている。