榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

任那日本府の実態は、亡命吉備政権だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3796)】

【読書の森 2025年8月14日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3796)

九州赴任中は、シャワシャワシャワシャワというクマゼミの独特な鳴き声をよく耳にしたものだが、ここ首都圏では滅多に聞くことがありません。その懐かしい鳴き声に導かれ、クマゼミの雄(写真1)をカメラに収めることができました。トチノキ(写真2)、イチジク(写真3)、トマト(写真4)が実を、オクラ(写真5~7)、ナス(写真8、9)が花と実を付けています。

閑話休題、『日朝古代史の謎――日本書紀が解き明かす』(瀧音能之監修、宝島社新書)には、注目すべき指摘があります。

●5世紀の二王統対立
倭の五王の時代は、百舌鳥古墳群の履中天皇系統と、約15km離れた古市古墳群の允恭天皇系統が対立していた。履中天皇系統の後ろ盾になったのは葛城氏や吉備の勢力であり、允恭天皇系統には反葛城氏の豪族が結集し、物部氏や大伴氏が後ろ盾となった。

●任那日本府
『日本書紀』に記載された「任那日本府」は朝鮮半島におけるヤマト王権の領土の一部だとする説は、現在は否定的に扱われている。その実態は、任那にあった亡命吉備政権で、ヤマト王権と距離を置く新羅と通じていたと考えている。

●継体天皇
継体天皇の一族は朝鮮半島からの渡来系氏族と密接な関わりを持っていた。琵琶湖一帯を勢力圏にしていた息長氏、坂田氏ら近江の有力豪族を束ねていた。非主流派連合政権だった継体天皇が、大和入りを果たしたのは即位から20年後の526年のことであった。