榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

最晩年の丸谷才一が、トルストイ、志賀直哉、小林秀雄、木下順二、三島由紀夫を滅多斬り・・・【情熱的読書人間のないしょ話(4027)】

【読書の森 2026年3月21日号】 情熱的読書人間のないしょ話(4027)

ハクモクレン(写真1)、サラサモクレン(写真2~5)、トウモクレン(写真6~13)、モクレン(別名:シモクレン。写真14~17)が咲いています。因みに、本日の歩数は8,272でした。

閑話休題、『文学のレッスン』(丸谷才一著、湯川豊 聞き手、新潮選書)では、興味深いことが語られています。

●イギリスではいったいに短篇小説というのは位どりが低いんですよ。なにしろ長篇小説の国ですから、長篇小説がぐーんと格が高くて、反面短篇小説はひどく軽んじられる傾向がある。

●短篇小説の歴史ということから考えてみると、ポーの短篇小説は、非常に知的な操作でできるものだと考えてつくった。その点で大革命をやって、あそこから近代の短篇小説が始まった。それをもう一つ凝った仕組にしたのがボルヘスでしょうね。つまり短篇小説は南北アメリカ大陸の芸術なのかもしれない(笑)。

●ブルジョア文化があるていど成熟してきて、余暇が生じる。その余暇を楽しむようになったときに、暖炉の前なんかでゆっくりと長篇小説を読むことになる。長い本のなかにある小説の世界とつきあう時間をもつようになるかも知れない。そのためには、読者の資産、閑暇、教養が必要で、文学趣味がわりと高いんじゃないと、小説家が努力してもなかなか受け入れてもらえない。そういう読者をもっていたのが18世紀、19世紀のイギリスであって、だからロマンの国、長篇小説の国と呼ばれるほどになったのでしょう。

●志賀直哉はスケッチ的短篇小説を書かせるとすばらしい。・・・けれど、『暗夜行路』となると本当に質が低くなる。

●イギリスの現代の短篇小説は、アイリス・マードックの「何か特別なもの」、エドナ・オブライエンの「恋づくし」、ジョージ・ムーアの「懐郷」など、僕が大変好きだったものです。マードックは長篇小説しか書かない人みたいで、短篇諸説はこれ一つしかないんじゃないかな。しかしすばらしい出来だから、読んでごらんなさい。

●トルストイの『アンナ・カレーニナ』という小説。そんなにいい小説なんだろうかと昔から疑問があるんですよ。池澤夏樹さんが、何だか通俗小説っぽい感じがすると書いてるのを読んだ。あれを読んだとき、非常に同感した、というより僕の援軍がついに現われたか、という気がした(笑)。

●森鷗外が漱石にくらべて人気がないのは、鷗外は学識がうんと高くて普通の読者には読めないからというようなことがいわれるけれど、そうではなくて、鷗外の登場人物には魅力のある人があまりいないということがありはしないか。最後に史伝を3つ書きましたが、あのときになってはじめて魅力のある人物が出てくる。

●イギリスの伝記がいいという一つの証拠になるのは、プルーストの伝記。イギリス人のG・D・ペインターが書いた『マルセル・プルースト』が圧倒的によくて、フランス人の書いたものはかなわないのだそうです。これは清水徹さんもいっているし、岩崎力さんも訳者後記でいっています。

●大野晋先生の『語学と文学の間』のなかにある本居宣長の伝記的事実の研究。宣長が初恋の人と結婚したいと思っているうちに、その人がお嫁に行ってしまう。宣長は心を残しながらお母さんが勧める人と結婚する。ところがしばらくすると、初恋の人の夫が亡くなる。それで宣長は離婚して、その初恋の人と結婚した。その経緯を過去帳などを使って徹底的に調べあげたんです。宣長はその間、人妻に恋している状態で、その懊悩から『源氏物語』を深く読みこむことができた、というのが大野さんの説なんです。これはおもしろいし、じつに立派な研究ですね。

●現代日本の批評の代表者は小林秀雄だけれど、川村理論を当てはめて考えてみると、小林秀雄という人はエッセイという円は大きかったろうけれど、学問という円は小さかったんじゃないかな。

●(須賀敦子が)もうすこし長生きしたら、エッセイと長篇小説とをうまくまぜて、新境地を拓いたかもしれませんね。

●僕は(井上)ひさしさんは喜劇作者としては明治維新以後最高の劇作家だと思っている。・・・しかし、変なことをいうようだけれど、井上ひさしは喜劇作者じゃなく、悲劇作者としてはどうなんだろうか。そんなこと、いままでだれも考えた人はいないけれど。・・・悲劇作者としての井上ひさしは、非常に多量の、卓抜なコミック・リリーフと、まことに上手な唄の使い方によって、観客をさんざん楽しませた挙げ句、最後に歴史というものに責任を負わせる作劇術を発明した。そういう劇作家なのかもしれない。

●僕は昔から、何をばかな風な考え方なんですね。(木下順二の)『夕鶴』はどうも高く評価できないんです。

●三島由紀夫のせりふをレトリックとして最高という芝居好きがいるでしょう。僕は賛成できない。レトリックというものの考え方が間違っていると思う。裏にロジックがあって初めてレトリックなのであって、三島はロジックが弱いと思うんです。

読み巧者の丸谷才一にここまで言われたら、『何か特別なもの』、『マルセル・プルースト』、『語学と文学の間』を読まずに済ますわけにはいきませんね。