マルセル・プルーストの愛の対象は男性だけだったのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(4026)】
いつもの野鳥観察コース沿いに、こんなに素敵な場所があるとは!







閑話休題、マルセル・プルーストが14年かけて書き継いだ『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社文庫、全13巻)を、鈴木道彦によって順次、翻訳され、単行本(後に文庫化)として刊行されるのを待ちかねるようにして5年かけて読み終えた時、『失われた時を求めて』は私の一番好きな小説の地位を獲得していました。
しかし、この物語の語り手の「私」が熱愛する女性アルベルチーヌのモデルが、同性愛者であったプルーストの運転手・秘書を務めた男性アルフレッド・アゴスチネリだということを知り、正直言って、女性大好き人間の私はもやもやとした違和感に襲われました。若い時の私は、憧れの女性にふさわしい男になりたいと考えていたからです(私は、異性愛か同性愛か両性愛かは本人の自由であると考えています――念のため)。
この小説が出版された時代的背景がプルーストにそうさせたのだろうが、その辺りの事情を知りたくて、上下巻合わせると厚さが5.7㎝ある『マルセル・プルースト――伝説(上・下)』(ジョージ・D・ペインター著、岩崎力訳、筑摩書房)を手にしました。
結論を言えば、プルーストが同性愛者であったことは間違いないが、女性も彼の愛の対象であったことを知ることができました。
「この若く魅力的な伴侶(アゴスチネリ)といっしょにいることを彼(プルースト)が嬉しく思ったのは確かだし、もしかしたら、話者がアルベルチーヌといっしょにバルベックの近辺を散歩する話には、アゴスチネリの思い出もすこしはまじりこんでいるのかもしれない。だが、話者とアルベルチーヌとの関係のこの面は、主として1892年のマリー・フィナリ―との出会い、1899年のマリー・ド・シュヴィイとのそれ、さらには1908年カブールで出会うはずだったもうひとりの少女とのそれに想をえたものであり、とどのつまりアゴスチネリを思わせる部分はごくわずかしかないと言わなければならない。アゴスチネリとアルベルチーヌを同一視することができるのは、・・・『夜明けの悲しみ』と、話者の家での『囚われ人』の生活――それはプルーストの実生活では1913年9月から1914年春までの出来事に相応する――という点についてだけである」。
「世に流布しているごとく、アゴスチネリとアルベルチーヌを完全に同一視する見方は事実の範囲をはるかに超えている。・・・『失われた時を求めて』のなかでも、その最後の挿話にいたるまで、アルベルチーヌのモデルは、なによりもまず女性の実在人物だったと考えなければならない」。
私がホッとしたことは事実です。
これだけでなく、●『失われた時を求めて』の語り手の初恋の少女ジルベルトのモデルは、1886年の夏、プルーストが14歳の時、出会った15歳のマリー・ド・ベナルダキという女性であること(プルーストは「生涯一度の恋」と言っている)、●『失われた時を求めて』の登場人物の中で、私にとって一番興味深いシャルリュス男爵のモデルであるロベール・ド・モンテスキウ伯爵の実像が丹念に辿られていること、そして、彼の祖先の中に『三銃士』のダルタニャン(ダルタニャンは通称で、本名はシャルル・ド・バッツ)がいること、また、彼の邸の庭の自慢の一群の灌木の(何と、「の」の6連発!)手入れをしていたのはハタという日本人の庭師であったこと、●『失われた時を求めて』の重要人物ゲルマント公爵夫人のモデルのロール・ド・シュヴィニェ伯爵夫人の祖先の中にサド侯爵がいること、●同性愛者のアンドレ・ジード(ジッド)は、プルーストを「韜晦の巨匠」と非難したこと、ジョージ・D・ペインターは「プルーストは悔恨にみちた(性的)倒錯者であり、ジードは勝ち誇った倒錯者であった」と評していること、●1920年にタクシーの中で、プルーストはジェイムズ・ジョイスと、「残念ながら私はジョイスさんのご本を読んだことがないのです」、「私もプルーストさんのものは一度も読んだことがなくて」という会話を交わしたこと――を知り得たことも収穫でした。
この本の存在を教えてくれた丸谷才一に感謝!
