情熱という名の女たち(その12)――因習に囚われず、次々と新しい愛を求め続けた女・・・【情熱の本箱(12)】
3つの質問
私、ジョルジュ・サンド(1804~1876)に寄せられた3つの質問にお答えしましょう。質問の第1は、「あなたは、なぜ、男装し男性名を名乗ったのですか?」、第2は、「あなたは、なぜ、次から次へと男性遍歴を繰り返したのですか?」、第3は、「あなたは、なぜ、後半生に至って、『愛の妖精』という田園小説を書いたのですか?」――で、よろしいのですね?
男装の小説家
私が長年に亘りジョルジュ・サンドという男性名で作品を発表し続けたことには、それほど深い意味はありません。私は18歳の時、貴族と結婚してカジミール・デュドヴァン男爵夫人となり、一男一女を儲けましたが、夫とは価値観が異なることに早い時期から気づいていました。
26歳の時、愛し合った学生、ジュール・サンドーとの合作の小説を「ジュール・サンド」という筆名で発表したのですが、今後はこの名は使わないでほしいと彼から言われてしまいました。そこで、売れ始めてきた筆名を変えるのは好ましくないという出版社の意向を酌んで、「ジュルジュ・サンド」に変更したのです。
男装については、当時のパリには女性は立ち入れない場所がたくさんありましたが、男装ならそういう所にも自由に出入りできるということから始めたのです。
恋愛至上主義
結婚したのは一度だけでしたが、恋愛は、生涯に亘り、数え切れないほど経験しました。
28歳の時、6歳年下の詩人、アルフレッド・ド・ミュッセと知り合い、その年の暮には一緒にヴェネツィアに旅立ち、そこで甘い蜜月を過ごすつもりでした。ところが、水の都に到着してほどなく、先ず私が、続いてミュッセが病に伏してしまったのです。その時、往診に来てくれたイタリア人医師、ピエトロ・パジェッロが私の心を燃え立たせたのです。こともあろうに、恋人との愛の逃避行のさなかだというのに。
パジェッロと愛を交わしてから数日後に彼に宛てて書いた手紙の一節を引いておきましょう。「異なる空の下に生まれた私たちは、考え方も言葉も違います。あなたの額を日焼けさせた激しい太陽は、どんな情熱をあなたに与えたのでしょう。私は愛したり苦しんだりできますが、あなたはいったいどのようにして人を愛するのでしょうか。あなたの情熱的な眼差し、激しい抱擁、大胆な欲望が私をそそり、同時に恐れさせます。あなたのそばにいると、私は青ざめた彫像のようになってしまいます。そして、あなたを見詰めていると、驚きと欲望と不安を覚えるのです」。
ミュッセとの関係が破綻して暫くしてから、32歳の私は、当時社交界で有名なサロンの主催者であったマリー・ダグー伯爵夫人の邸宅で、6歳年下の新進ピアニスト、フレデリック・ショパンと出会ったのです。やがて私たちは恋仲となり、マヨルカ島に旅行し、私の故郷のフランス中部のノアンで一緒に暮らし始めました。夫とは別居し、子供を育て、結核を患うショパンを看病しながらの生活でした。この期間は、ショパンにとって生涯で最も旺盛な活動時期で、傑作が次々と作られていったのです。
因みに、ダグー伯爵夫人は夫を棄ててフランツ・リストと駆け落ちし、後にリヒャルト・ワーグナーの妻となる娘・コジマを儲けました。
しかし、ノアンでの幸福は永遠には続かなかったのです。息子・モーリスがショパンとの同居を嫌い、娘・ソランジュが成長し、艶やかな色香を漂わせショパンに媚びるような態度を見せるようになったからです。ショパンがソランジュに味方して口を差し挟むと私との諍いになってしまいます。そして、彼の健康状態は悪化していったのです。
1847年に彫刻家と結婚したソランジュは、ノアンを去ってパリに移ったショパンを頼るようになりました。これを受けて、私がショパンに宛てた手紙の一節をお目にかけましょう。「娘は母親の愛情が必要だなどとは言えないでしょう。母親を嫌い、中傷し、酷い言葉で、その家と最も神聖な行為を汚しているのですから。あなたは喜んでそんな言葉に耳を傾け、どうやら信じているようですね。こんな争いはしたくありません。うんざりです。私の胎内から生まれ、私の乳で育てた娘という敵から身を守るくらいなら、あなたが敵方に寝返るのを目にするほうがましです」。一緒に旅をし、断続的に9年近く共に暮らしたショパンとの関係を、「愛」や「情熱」ではなく、敢えて「親しい友情」と呼ぶことによって、私はその9年間をきっぱりと清算しようと思ったのです。数々の作品を世に送り、作家としての才能に恵まれていると自負していた私と天才ピアニストの愛が破局を迎えた瞬間でした。
私は、因習や年齢に囚われず、仕事にも恋にも情熱を燃やしてきましたが、仕事はともかく、愛という代物は一筋縄ではいきませんね。ただし、どの恋愛も、その時その時は真剣そのものだったのです。
私は、恋愛を、美しい感情と美しい思想とによって私たちを高めてくれる気高い情熱であると思っています。
田園小説で伝えたかったこと
45歳の時に出版した『愛の妖精』は、フランスの田園地帯を舞台に、双子の兄弟と野性的な少女・ファデットの成長と恋愛を繊細かつ瑞々しく描くことを心がけた小説です。その甲斐あって、私の最高傑作と言われているようです。
一卵性双生児の兄・シルヴィネは優しいが内気、弟・ランドリーは陽気で快活です。ファデットは小柄で、痩せていて、色黒で、おしゃべりで、悪戯好きのお転婆娘ときているので、最初のうちは、双子は彼女が苦手だったのです。
ところが、シルヴィネ家出事件がきっかけとなり、ファデットと話す機会が増えたランドリーは、彼女が物知りで、踊りが上手で、根は優しくて気立てのよい娘だということに気づき、ファデットに惹かれていくのです。ファデットもまたランドリーと付き合ううちに、身だしなみに気を使ったり、優しい気持ちを素直に表すようになっていきます。ファデットはそれまで自分は醜いと思い込み、周りもそう思っていたのですが、見違えるように変わっていくという変身物語です。この作品には、私自身の少女時代の思いが色濃く反映していることにお気づきでしょう。
私は貴族だった父と庶民の娘であった母との間に結婚前にできた娘で、4歳の時、父が亡くなってからは、母から引き離され、父方の祖母の館で育てられたのですが、生涯、自分は民衆の立場に立ちたいと願いながら、行動してきました。民主主義・社会主義に惹かれたのも、胸の奥底で理想主義の炎が燃え続けていたからでしょう。この『愛の妖精』は、民衆讃歌であり、女性解放の願いが込められた書なのです。
【参考文献】
・『愛の妖精』 ジョルジュ・サンド著、宮崎嶺雄訳、岩波文庫、1936年
・『愛の妖精』 ジョルジュ・サンド著、小林正訳、角川文庫、1953年
・『バルザック』 シュテファン・ツヴァイク著、水野亮訳、早川書房、1980年
・『愛の情景――出会いから別れまでを読み解く』 小倉孝誠著、中央公論新社、2011年
・『恋愛書簡術――古今東西の文豪に学ぶ』 中条省平著、中央公論新社、2011年