榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

地に足のついた夢想家、ジョルジュ・サンドの生涯は、私たちに勇気を与えてくれる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1419)】

【amazon 『ジョルジュ・サンド 愛の食卓』 カスタマーレビュー 2019年3月9日】 情熱的読書人間のないしょ話(1419)

アセビが白色の花を、アケボノアセビが薄桃色の花をぶら下げています。ジンチョウゲの花が辺り一面に芳香を漂わせています。カンヒザクラ(ヒカンザクラ)が濃桃色の花を俯き加減に咲かせています。カワヅザクラも頑張っています。因みに、本日の歩数は10,343でした。

閑話休題、私は、若い頃、『愛の妖精』を読んで、作者のジョルジュ・サンドを好きになりました。このほど、『ジョルジュ・サンド 愛の食卓――19世紀ロマン派作家の軌跡』(アトランさやか著、現代書館)によって、サンドの生涯――家族、思考(=ジャン・ジャック・ルソーの信奉者)、行動、文学、恋人たち、友人たち、食いしん坊ぶり――をつぶさに知り、サンドがますます好きになってしまいました。

「1804年の夏、パリで生まれたジョルジュ・サンド。広く時代や場所を見渡しても、彼女ほど自由に、そして力強く生きた人物は稀だ。幼い頃から複雑な家庭環境(=父は貴族の家系、母は庶民の出)の中で育ち、子どもらしい無邪気さとはかけ離れた少女時代、思春期を送ったサンド。結婚すると女性は夫の所有物のように扱われた時代にあって、結婚にも幻滅した。法の決まりによって離婚さえも許されない中、サンドは自らの道を切り開いていった。順風満帆とはほど遠い人生だったけれど、あらゆる不幸や社会の制約をものともせず、夢、想像力、そして知力を武器に気高く闘った」。

「生涯に数多くの小説をものし、友人達に長い手紙をしたため、政治に関する文章もデがけたサンド。ひとりの芸術家として、ひとりの人間として、自分と他者の自由のために机に向かい、尽きることのないエネルギーで筆を走らせた。その一方で、サンドは暮らしを楽しむ達人でもあった。ピアノ、ハープやギターを奏で、絵筆をとり、森を散策し、自宅で演劇を上演し、家庭菜園にも精を出した。そしてまた、料理をこよなく愛し、友人を招いての会食に情熱を傾ける食いしん坊でもあった」。

「フランス中部ノアンにあるサンドの小さな城館には、各地から名だたる芸術家達がやってきた。(フレデリック・)ショパンや(フランツ・)リスト、(オノレ・ド・)バルザック、(ギュスターヴ・)フロベール、アレクサンドル・デュマ・フィス、(ウジェーヌ・)ドラクロワなど、当時のヨーロッパを代表する才気あふれる芸術家、思想家や政治家が、サンドと共に食卓を囲んだ」。

その生涯を通して、サンドは次々に恋をしました。●学生 ステファーヌ・アジャソン・ド・グランサーニュ、●夫 カジミール・デュドヴァン、●検事代理 オレリアン・ド・セーズ、●小説家志望 ジュール・サンドー、●詩人 アルフレッド・ド・ミュッセ、●弁護士 ミシェル・ド・ブールジュ、●音楽家 フレデリック・ショパン、●彫版家 アレクサンドル・マンソー――と見てくると、サンドが恋愛史上主義者であったことが分かります。

「サンドはその情熱を晩年まで忘れることはなかった。作家という職業は彼女の天職であり使命だったから、その喜怒哀楽はすべて原稿用紙に写し取られた。出会って数カ月の恋人と旅行をしているときでさえも、夜中に執筆をし、その間はドアに鍵をかけるという念の入れようだった」。

「生身の人間であるサンドには、もちろん、時には怒ったり、悲しみにうちひしがれたりする日々もあった。それでも、常に人類の幸せのために祈り、最後まで行動し続け、希望を失うことはなかった。地に足のついた夢想家だったジョルジュ・サンドは、私達に宝の山を残していった」。

サンドの生涯を知って、沸々と勇気が湧いてきました。