戦争が人間を変えてしまうことを如実に示す従軍ルポルタージュ・・・【山椒読書論(258)】
『生きている兵隊』(石川達三著、中公文庫)は、硬骨の作家・石川達三の日中戦争の従軍ルポルタージュである。昭和13(1938)年、『中央公論』に伏せ字・削除が施されて発表されたが、内容が反軍的・反戦的であるとして即日、発売禁止となった。本書は、戦後になって刊行された完全復元版を参照して、伏せ字部分を傍線で明示した伏せ字復元版である。伏せ字・削除されていた部分のあまりの多さに驚いてしまう。
「生肉の徴発という言葉は姑娘(クーニャ。若い中国人女性)を探しに行くという意味に用いられた。彼等(兵隊たち)は若い女を見つけたかった。顔を見るだけでもいい、後姿でもいい、写真でも絵でもいい、ただ若い美しい女を象徴するものでさえあればよかった。女もちのハンカチとか絹に刺繍した女靴でも大事に(所属部隊に)もって帰っては見せびらかした」。
「そのとき女は突然ひと足退って右手に持った拳銃を向け、引き金を引いた。かちッと音がして、不発であった。近藤(一等兵)は背を丸くして彼女の胸元に毬のように飛びかかり、瞬く間に土間に叩き伏せ拳銃を奪い取って立ち上った。・・・他の兵は彼女の下着をも引き裂いた。すると突然彼等の眼の前に白い女のあらわな全身が晒された。それは殆んど正視するに耐えないほど彼等の眼に眩しかった。美事に肉づいた胸の両側に丸い乳房がぴんと張っていた。豊かな腰の線がほの暗い土間の上にしらじらと浮き上って見えた。・・・彼(近藤)は物も言わずに右手の短剣を力限りに女の乳房の下に突きたてた。・・・『たしかにスパイと思われましたから、いま、自分が殺しました』」。
「武井(上等兵)は腰の短剣を引きぬくと一瞬の躊躇もなしに背から彼の胸板を突き貫いた。青年は呻きながら池の中に倒れ、波紋は五間ばかり向うの近藤が米をといでいる岸にばさばさと波をうった。彼はあわてて米をとぐのをやめ、立ち上って叫んだ。『何をやったですか』『ふてえ野郎だ、聯隊長殿にな、やっととってあった砂糖を盗んでなめやがったんだ』『はあ』近藤は飯盒をぶら下げたまま水に浮いている?(ニイ。中国人男性)の背中を眺めていた」。
「彼等(兵隊たち)はその(戦友たちの)遺骨に対して普通の死人や遺骨に感ずるような無気味さも嫌悪の気持もなしに、かえって大変に親しいものを感じていた。この骨そのものがまだ生きている様に思うのである。というよりもむしろ、自分が生きているのは仮の姿であり今日のうちにでもこの骨と同じになるのであることを感じていたのかも知れない。彼等は生きている遺骨であったのかも知れない。かくて、戦死した兵と生き残った兵とは相たずさえて次第に南京に迫りつつあった」。
フィクションやゲームの世界とは異なり、現実には、恰好よく、勇ましい戦争なんてものはない。戦争が人間を変えてしまう、狂わせてしまう。『生きている兵隊』には、そういう戦争下の人間が生々しく描かれている。もし、著者が、戦争放棄を特色とする日本国憲法の昨今の改憲への動きを知ったなら、どう思うだろうか。