「方丈記=住居論」だと主張する堀田善衞の驚くべき根拠・・・【山椒読書論(259)】
堀田善衞(よしえ)の愛読者であった宮崎駿は、堀田の『方丈記私記』(堀田善衞著、ちくま文庫)のアニメーション化を長年に亘り構想していたという。
自分の価値観に正直であろうとする堀田が認める歴史上の人物は、一方の極に位置する鴨長明と、もう一方の極に聳える親鸞である。
『方丈記私記』は、長明の人生・思想を考察しながら、堀田自身の魂のあり方を語っている意味深長な書である。
「(長明によって)当世風な仏教までが蹴飛ばされてしまった。もとより山岳仏教にも、学問仏教にも用はない。最後の拠りどころである筈の仏教までが蹴飛ばされてしまったとすれば、私がこれまでに、彼(長明)の『私』、あるいは彼の心理の揺れ、揺れかえしのようなものとして、ひらき直った、居直った、ザマミロ、ふてくされ、厭味、トゲなどと言って来たものどもは、実は、ふてくされでも厭味でも、またひらき直りでも居直りでもなくて、さらにはウラミツラミでも厭味、トゲでもなくて、それは彼の方からして捨てられたこの『世』に対する長明一流の、優しい挨拶なのだ。歴史と社会、(藤原定家に代表される)本歌取り主義の伝統、仏教までが、全否定をされたときに、彼にははじめて『歴史』が見えて来た。皇族貴族集団、朝廷一家のやらかしていることと、災殃にあえぐ人民のこととが等価のものとして、双方がくっきりと見えて来た。そこに方丈記がある。すなわち、彼自身が歴史と化したのである」。
堀田が描く長明は、一般に流布されている長明論とは、かなり異なっている。「方丈記というと、すぐに無常とか無常観といったことをもち出すのは、少し気が早すぎるのである」。
「この鴨長明という人は、なんにしろ何かが起ると、その現場へ出掛けて行って自分でたしかめたいという、いわば一種の実証精神によって、あるいは内なる実証への、自分でも、徹底的には不可解、しかもたとえ現場へ行ってみたところでどうということもなく、全的に把握出来るわけでもないものを、とにもかくにも身を起して出掛けて行く、彼をして出掛けさせてしまうところの、そういう内的な衝迫をひめた人、として私に見えているのである」。
「この方丈記という文章は、一面、住居についてのエッセイなのである。一種の住居論である。それは世界の古典文学のなかでも、実は珍しいと言ってよいほどのものであり、建築論ならばギリシャのむかしからいくらでもあるのだが、人間の住む住居論は、実は思うほどにはないものである。・・・安元3年の大火、治承4年の大風、また同じく治承4年の遷都、養和の大飢饉、長承の連続大地震などのことを述べて来たくだりも、そのほとんどが、人間の住居、というものにかかわって叙述をされている。それは不思議なほどにそうなのである」。堀田の数々の著作によって彼独自の考え方に馴染んでいる私も、この「方丈記=住居論」には、本当に驚かされた。
それにしても、長明は妙な家を考えたものだ。方丈、四畳半、高さは七尺で、組み立て式で移動式だというのである。長明においては、自分を、人間を問うことは、人が住む住居を考えることであった。住居を考えることから出発した人間論だったのである。