青春の作家、ヘルマン・ヘッセが老年と死について書いた本・・・【山椒読書論(279)】
若い頃、夢中になった『ペーター・カーメンツィント』『車輪の下』『デーミアン』などの著者、ヘルマン・ヘッセが老年と死について著した本があると聞き、『人は成熟するにつれて若くなる』(ヘルマン・ヘッセ著、フォルカー・ミヒェルス編、岡田朝雄訳、草思社文庫)を手にした。
本書には、上記をテーマとするエッセイと詩が収められている。
「老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階とおなじように、その特有の顔、特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩をもつ」。
「老齢が苦しみをもたらすこと、そしてその終点に死があることは誰でも知っている。私たちは年ごとにいけにえを捧げ、諦めなければならない。私たちは自分たちの感覚と力に不審を抱くことを学ばなくてはならない」。
老年のマイナス面が強調され過ぎているのではないかと感じたが、そこはヘッセ、このままでは終わらない。
「六十年、七十年来もうこの世にはいない人びとの姿と人びとの顔が私たちの心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たちを見つめるのである。いつの間にかなくなってしまった、あるいはすっかり変わってしまった家や、庭や、町を、私たちは昔のままに、完全な姿で見る。そして私たちが何十年も前に旅の途上で見たはるかな山々や海岸を、私たちは鮮やかに、色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に再発見する。見ること、観察すること、瞑想することが、しだいに習慣となり、訓練となって、気づかぬうちに観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる。望みや夢想や欲望や情熱に駆り立てられて、私たちは人間の大部分がそうであるように、私たちの生涯の何年も何十年ものあいだ、あせり、いらいらし、緊張し、期待に満ち、実現あるいは幻滅のたびごとに激しく興奮してきた。――そして今日、私たち自身の絵本を注意深くめくりながら、あの疾駆と狂奔から逃れて「ヴィータ・コンテムプラティーヴァ」、すなわち「静観の生活」に到達したことが、どんなにすばらしく、価値のあることであるかに驚嘆するのである」。
全く同感である。若い人たちには、この老年の素晴らしさは到底分かるまい。