榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

生涯に116人の女から愛されたカザノヴァという男の真実・・・【山椒読書論(304)】

【amazon 『カザノヴァを愛した女たち』 カスタマーレビュー 2013年11月7日】 山椒読書論(304)

多くの女性にもてたカザノヴァにあやかりたいと、若い時分からカザノヴァ関係の本を読み散らしてきたが、今回、『カザノヴァを愛した女たち』(飯塚信雄著、新潮選書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を読んで、とんでもない思い違いをしていたことに気がついた。

1725年にイタリアのヴェネチアで生まれたジャコモ・カザノヴァは、単なる色事師ではなく、イタリアの名門・パドヴァ大学の法学博士号を持ち、天文・化学・数学・古典文学に造詣の深い当代切っての国際的教養人・自由人であった。もっとも、同時に賭博師・冒険者でもあったのだが。もてるのをいいことに、女性の体や財産を奪う不逞の輩ではなく、心から女性を愛し、肉体面でも経済面でも女性に尽くした男性であった。晩年にカザノヴァが著した『回想録』は、あることないことを書き連ねた、誇張に満ちた自慢話ではなく、事実に基づいた交友の記録であった。登場する女性たちが実在したこと、その交友関係が事実であったことは、カザノヴァ研究家たちの弛まぬ努力によって、明らかにされてきた。さらに、カザノヴァが生きた当時のヨーロッパは、ルイ15世の公式の愛人として有名なポンパドゥール夫人に代表されるロココの世紀の絶頂期で、性交渉は飲食とほとんど同じようなものと見做されていた時代であり、女性も男性と対等に性愛を享受した時代であったのだ。

本書は、『回想録』全12巻の中から、カザノヴァを愛した女性10人――プロヴァンスの貴婦人、ギリシャの女奴隷、ヴェネチアの尼僧たち、ポルトガルからの亡命者、誇り高きグルノーブルの美女など――を、カザノヴァと交渉のあった116人の代表として取り上げることによって、カザノヴァと女性たちとの目くるめく悦楽の世界を臨場感豊かに描き出している。

「カザノヴァは色の浅黒い、1メートル90センチほどの大男だった」。

「では、カザノヴァという人間の魅力は? と言えば、まず、知性と感性、経済力と体力のすべてを結集し快楽を追求しようとしたその生き方にあった。そのために彼は折角獲得できるはずの社会的地位や名誉、財産を平気で投げすてた。そうすることにより、女性という目前の至上の快楽と、彼にとって至上のものである精神の自由を維持し続けたのだ。だが、そのために相手の女性の幸せをふみにじったかと言えば、決してそうではない。相手の幸せを充分にかなえた上で自らの自由を守ったのである」。なんと、魅力的な男ではないか。

例えば、「プロヴァンスの貴婦人」・アンリエットの場合――「『ああ、それはなんという夜だったことか! 私があんなにも愛していたアンリエットとは、なんと素晴しい女だったことか! 彼女は私を幸福の絶頂においてくれた!』としか『回想録』には記されていない。『カザノヴァ回想録』の愛欲描写は意外に淡泊なのだ」。

「カザノヴァは、夜アンリエットを抱いているときよりも、昼間彼女と語っているときの方が幸福感にひたることができる、と言っている。アンリエットは読書家で趣味もよく、判断に狂いがないし偏見も持っていない。大切なことを話すときも、笑いながら、いかにもたわいのないことを語るようなふりをして、しかも、誰にも分るように話した。才気によって男の心を燃え立たせ、ついにはその男に、ほかのものは何も要らないとまで思わせる。――アンリエットはそんな女だった、とカザノヴァは言うのである」。

カザノヴァは、『回想録』の中で、相手の女性たちの社会的名誉やプライヴァシーを守るため、その実名がばれないように仮名を使うなどの配慮をしている。

愛の快楽の5分の4を相手の女性に捧げることによって女性を幸福にし、自分は残りの5分の1で満足することを至上の歓びとするのが、カザノヴァの信条であり、美学であった。

稀有な人間的魅力、才能、エネルギーの持ち主のカザノヴァが、多くの才気溢れる美女たちを相手に繰り広げた絢爛たる官能の世界を味わうには絶好の書であるが、一つだけ気になる点がある。政治的や財政的に有力なパトロン(男女を問わず)に恵まれていたにしろ、賭博で大きく稼いだにしろ、女性を喜ばせるために使う金、あるいは、別れに際し女性に贈る金の額が半端ではないことだ。現在の円に換算すると何億円という金を惜しげもなく、使い切ってしまうのだ。これって、ひょっとしたら著者の換算間違いではと思うのは、私の貧乏性のせいだろうか。