榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

奴隷貿易で財を成した男とその娘の栄枯盛衰記・・・【情熱の本箱(103)】

【ほんばこや 2015年9月12日号】 情熱の本箱(103)

ウイダーの副王』(ブルース・チャトウィン著、旦敬介訳、みすず書房)は面白いが、口の中に強い苦みが残るモデル小説である。

ブラジルでの生活に見切りをつけた27歳の極貧白人、フランシスコ・マノエル・ダ・シルヴァは、1812年、大西洋を渡り、西アフリカで奴隷商人として身を立てる決心をする。徒手空拳で仕事に打ち込み、当地のダホメー王から「ウイダーの副王」という肩書きを与えられた彼は、ウイダーの地で巨万の富を築き、権勢を振るう。しかし、その栄耀栄華も長くは続かない。

因みに、ダホメーでは「宮殿の一番奥の敷地に、王は宦官たちと3000人の武装した女兵士(アマゾン)とともに暮らしていた」。ダホメーでは女のほうが男よりも遥かに獰猛な戦士だったので、王は徴兵係官に村を巡回させて最も筋肉質の処女たちを兵隊にとったのである。

フランシスコをフランシスコ・マノエル・ダ・シルヴァ一族のヒーローとすれば、いろいろな女との間に混血の息子63人、娘の数は不明だが、ともかく数多の子供たちを儲けた彼が衰退期を迎えてから授かった末娘、エウジェニア・ダ・シルヴァはヒロインと言えるだろう。120歳でエウジェニアがこの世を去った時、フランシスコが72歳で死去してから117年が経過していた。

この小説を形作っているのは、酸鼻を極めた奴隷売買の実態、栄枯盛衰が避けられない人の世の宿命、これらを引っくるめて何もかも押し流していく時の流れの威力である。

奴隷貿易の現場の惨状は想像を絶する。「黒人が(奴隷埠頭に)漕ぎ舟で運ばれてくるのを見つめた。あらゆる地方から来た仲買人が先を競って集まり、声が枯れるほどに叫びかわしながら送り主の烙印を探しあてた。彼らは死んだ者の数を計算した。それから、生きのびた者たちを走らせたり、足踏みさせたり、重いものを持ち上げさせたり、肺の健康さを示すために大声で叫ばせたりした。欠陥のある者たちは安くジプシーに売り飛ばされた」。「2年もかからずに、フランシスコ・マノエルは船45隻分の奴隷貨物をバイーア(植民地時代のブラジルの首都)に送りだしたことになった」。「積みこみ作業は引き潮の日の夕刻の涼しい時間に行なわれた――同じ光景が毎年毎年繰り返された。船、波、黒いカヌー、腰布を取り去られた黒い男たち、流木の焚き火で熱された奴隷焼印ごて。フランシスコ・マノエルは自分の手で焼印を押すことにこだわった。赤く熱されたこてを椰子油に浸す手間をかけるのは、こてが皮膚に貼りついてしまうのを避けるためだった」。

商売相手からの手紙の一節はこう綴られている。「われらのブリッグ船『レジチモ・アフリカーノ』号により、本日、貴殿(フランシスコ)の委託商品230点(m<雄、すなわち男>144点、f<雌、すなわち女>86点)に加え、コーラの実(雌)41500個を受領。残念ながら、赤痢の発生により3分の1の損失が出たことを報告しなければならない。雌のほうが雄よりもはるかに耐性があるのはなぜなのか、貴殿の意見をうかがいたし」。

栄華の後には「悪い時代が待っていた――王は新たな問題にいくつも遭遇し、それをすべて外国人(フランシスコ)のせいにした。・・・兵士の分隊がフランシスコ・マノエルを拘束し、新しいヨヴォガン(奴隷貿易を担当するダホメーの大臣)の前へと引き立てていった。・・・その後、彼は足に鎖をつけられ、悪臭の立ちこめる小屋に放りこまれた。番兵たちは彼をつねり、髪を引っぱり、腎臓のあたりを蹴りつけた。頭の傷からは膿みが垂れた。赤痢めいた下痢便を垂れ流した」。

1855年2月、フランシスコは愛するブラジル人女性と1歳になったばかりの赤ん坊(エウジェニア)を連れ、ブラジル船でアフリカからの脱出を試みるが、折悪しく番兵たちに見つかり、囚人とされ、富と特権を剥奪されてしまう。その上、ブラジルに蓄えておいた全財産を信頼していた商売相手に掠め取られてしまったことを知るのである。出来の悪い息子たちは彼の支えにならなかったのだろうか。「もはや、他ならぬ息子たちまでもが、彼のことは過去形で話した」。

時の流れを強く印象づける著者の表現は冴え渡っている。「ぴったり98年前、彼女(エウジェニア)は恋に落ちた。彼女はすらりと背が高く、美しかった。・・・微妙に揺れる彼女の歩き方を目にすると、男たちはぐっと自制しなければならなかった――にもかかわらず、まだそのとき、彼女は処女だった」。「年月は(恋人に裏切られた)彼女の顔の輪郭を、固い角ばった平面に変えていった。・・・30歳にして彼女は老嬢と化したが、それ以後、外見はほとんど変わらなかった――奴隷海岸は若くして人を奪い去るか、でなければ、酢漬けにして長生きさせるのだ」。「ママ・ウェウェ(エウジェニアの渾名)はそれからの60年間、腐りかけた綾織り布の発する饐えた匂いの中にすわって、最後の晩餐の光景が描かれた父親の移動祈祷台を見つめて過ごした」。「年月は滑るように過ぎていったが、誰も家を修繕しなかった」。「一度だけ、1942年に、彼女の生活のリズムが途切れたことがあった」。「1953年にあった100歳の誕生日のお祝いの席で、彼女は親族たちを指差しながら、『自分たちがブラジル人だということを忘れるんじゃないよ!』と言い含めた。それ以来、彼女は一度も口をきいていなかった。以後、年月は過ぎていったが、彼女が食事以外の目的で口を開くことは一度もなかった」。「ドン・フランシスコ自身の愛嬢である『白い子ウェウェ』(エウジェニアの渾名)、彼自身が白人だったことの証拠となる人物が今、部屋の向こうの端で死の床についているのだった」。

本書の主人公、フランシスコ・マノエル・ダ・シルヴァのモデルとなった人物は、やはりブラジル出身とされるフランシスコ・フェリクス・デ・ソウザである。しかし、デ・ソウザの晩年にパートナーとなるブラジル人の白人女性が実在したか、その女性との間の娘(エウジェニアのモデル)が実在したかは明らかでない。恐らく、チャトウィンはデ・ソウザの史実に沿った部分と、白い娘・エウジェニアのフィクション性の強い部分を織り交ぜて、巧妙に一族の一大絵巻を作り上げたのだろう。こういった点を踏まえて、ガブリエル・ガルシア・マルケスの作品との類似性を論じる識者もいるが、私はチャトウィン独自の燦然たる世界が構築されていると思う。