榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

賢い女の戦略としての「偏見」・・・【情熱の本箱(204)】

【ほんばこや 2017年8月24日号】 情熱の本箱(204)

ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』(ジェイン・オースティン著、阿部知二訳、河出文庫)を読んで、恋愛小説の面白さを堪能したのは、私が20歳の時のことであった。

今回、『深読みジェイン・オースティン――恋愛心理を解剖する』(廣野由美子著、NHKブックス)を読んで、著者・廣野由美子の深い読み込みに驚嘆した。本書では、オースティンの6つの代表作のヒロインそれぞれの心理分析が展開されているが、やはり、一番興味深いのは、「賢い女の野望――『高慢と偏見』」の章である。因みに、他の章のタイトルは、「平凡な女の冒険――『ノーサンガー・アビー』」、「耐える女の報酬――『分別と多感』」、「おとなしい女の正体――『マンスフィールド・パーク』」、「わがままな女の錯誤――『エマ』」、「あきらめられない女の夢想――『説得』」となっている。

「『高慢』も『偏見』も、ともに歪んだ認知のあり方そのものを示している。『高慢』は主人公ダーシーによって、『偏見』は女主人公エリザベスによって代表される特性とする見方が一般的であるが、2つの特性には密接な関わりがあるため、それほど単純には二分できない。ともあれ、エリザベスの『偏見』は、たんに偶発的なものではなく、彼女の性格の根幹に関わっているように思われる。そこで、『偏見』の奥にどのような『スキーマ』(=その人の体験や知識の蓄積によって形成された認知パターン)が隠されているのかを探ってみたい」。著者のこの目の付け所には、ひたすら脱帽。

「言うまでもなく、そもそも心理療法家ではない18~19世紀作家オースティンは、女主人公たちの『スキーマ』をいかに『修正するか』という目的で作品を書いているわけではないし、自らの『スキーマ』を解決するために、意図的に治療目的で創作活動に取り組んだわけでもあるまい。さまざまな出来事や人間関係に接したとき、人間の認知はいかに反応し、歪みを露呈し、変化してゆくのか――このような角度から、オースティンは『人間性とは何か』という問題を探究しようとしたのである。それがオースティンの作品の重要なテーマのひとつであることは、間違いないだろう」。

「エリザベスは、作者にとって一番お気に入りの女主人公だったようである。批評家たちによれば、オースティンの創造した登場人物のなかで、エリザベスは作者に最も近い人物であったとされている」。生涯、独身を通したオースティンは、自分自身が果たせなかった恵まれた結婚をエリザベスを通して実現させることで、自分の願望を満たそうとしたのではないだろうか。

「オースティンの小説では、いずれも女主人公が結末で幸福な結婚に至るが、なかでもエリザベスの場合は、いわゆる『玉の輿に乗る』という種類の結婚である。これは社会的階層という観点から見ると、エリザベスが結婚によって『上昇』したことを意味する。低い地位や貧しい境遇から、高い身分や金持ちになった人のことを、一般に、(時に軽蔑の意を含めて)『成上り(者)』と言う。そこで、『成上り』とはどういう心理状態にある人かということについて、考えてみよう。成上りには、自分に対して根本的な自信がある。自信をたやさないことによって初めて、上昇するために不可欠の動力が働くからだ。その一方で、自分がもって生まれたものは『低い』、あるいは『足りない』という不変の意識がある。だから、自分はもとのままでは駄目なので、自力で何とか開拓しなければならない、頑張って本来あるべき『高さ』に這い上がり、もつべきものをもって『充足』させなければならないと考える。こうして『成上り』は、つねに上昇志向に突き動かされるのである。『高慢と偏見』の女主人公エリザベスは、まさにこういう意識を内包した人物であり、そのことがかえって彼女の魅力を増大させているように思える。つまり、『私は成上り』というのが、彼女の『スキーマ』であるとも言えるのだ」。この部分を読んで、ギクッとしてしまった。エリザベスとは時代も状況も性別も異なるが、当時、日本第二位の製薬企業に就職した時の自分を思い出してしまったからだ。同期の連中の学歴欄を見た途端、現在の自分の実力では埋没してしまうという危機感に駆られ、生まれて初めて猛然と勉強を開始したことを思い出したのだ。

「ダーシーは、生まれながらにして、身分と財産、しかも知力を具えた男性で、『成上り』の対極にいる『本物』の存在だった。エリザベスは、最初に出会った舞踏会で、ダーシーが自分のことを、『まあまあだが』、それほどの『美人ではない』と言っているのを耳にする。・・・このときエリザベスの内に生じたダーシーへの恨みは根深く、彼に対する偏見が後々まで尾を引くことになる。・・・『本物』から『それほどではない』と、ある意味で本当のことを言われること――それが、『成上り』としての彼女の本性を刺激し、『スキーマ』が表面化して、『偏見』という形で攻撃性を帯びる結果になったと言えるだろう」。一方、エリザベスの姉・ジェインは、男性たちの間で、「これまで会ったなかで一番美しい人」と言われるほどの美形である。

「エリザベスは、ダーシーを強く意識し、『偏見』で武装して、わざと彼に逆らったり、引っかかるようなことを言ったり、議論をふっかけたりして、攻撃の姿勢で構える。ところが、彼女のこのような態度が、かえってダーシーの注意を引き、彼を魅了する結果となるのである。・・・自信ありげなダーシーの態度を見て、ますます怒りがこみあげたエリザベスは、彼が自分を侮辱したこと、ジェインの幸せを破壊したこと、ウィッカムに不当な仕打ちをしたことを理由に、求婚を断る。ダーシーはこんな有利な話には女性なら誰でも飛びつくと思っていたのに、予想に反して、エリザベスの拒絶に遭い、屈辱感を味わわされる。それは彼にとっては初めての体験であり、これまでの自分の高慢さを反省するきっかけとなる。また、互角に勇気ある遣り取りができる人間として、エリザベスを再評価することへともつながったかもしれない。この出来事は、エリザベスにとっても想定外の成功へ導く結果となったのである」。

その後、ダーシーから届いた弁明の手紙を読み、真相を知った「エリザベスは、自分がいかに虚栄心と偏見が強く、物の見方が狂っていたかを認識したのである。『私は自分というものがわかっていなかった』と言うとき、エリザベスが、これまでの自分に対して深い反省をしたことはたしかだ。しかし、自分がどういう人間であるかを、彼女が本当に認識できていたのかどうかは、定かではない。というのも、このあとまもなく、エリザベスのなかに虚栄心が蘇っているからである」。著者も、エリザベスに負けず劣らず辛辣である。

「エリザベスにとって、ダーシーと結婚することは、自分の知り得る範囲で最高の社会的地位に上昇すること、つまり最高に『成り上がる』ことを意味した。だから、ビングリーと結婚するジェインよりも自分のほうが『幸せ』だと言うとき、エリザベスは、自分のほうがジェインよりも社会的に上なのだという本音を漏らしている。・・・思わぬ玉の輿に乗れたことに対して勝利感に酔う『成上り』の高笑いが、この(叔母にダーシーとの結婚が決まったことを報告する)手紙からは聞こえてきそうである」。

エリザベスというのは、現在に移しても非常に興味深い存在だが、できれば、こういう女性とは関わりたくないというのが、私の本音である。20歳の時も、年を重ねた現在も、私の好みは、エリザベスの姉・ジェインのような女性である。「知的で控え目なジェインが、エリザベスとかなり性格が異なるという点は注目に値するだろう。ジェインは誰に対しても親切な善意溢れる人間であるばかりではなく、劣等感がないため、自分自身に対してもいたずらに卑下することがなく、つねに自然体である。彼女は、自分のもとから去って行ったビングリーを責めることもしないし、ダーシーがウィッカムに不当な仕打ちをした悪人であるという噂を、家族のみなが信じたときも、ただひとり、『これには何かわけがあるはず』といって信じようとしなかった。結果的にジェインは、他人や物事を歪めずに正確に見る力を示している場合が多い」。こういう女性に出会えた男性は幸せである。