榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

1800年間も続いた青銅器時代文明が紀元前1177年に突如、消滅した原因は何か・・・【情熱の本箱(249)】

【ほんばこや 2018年8月27日号】 情熱の本箱(249)

B.C.1177――古代グローバル文明の崩壊』(エリック・H・クライン著、安原和見訳、筑摩書房)には知的好奇心を激しく掻き立てられ、未知の世界に触れるワクワク感を味わうことができた。

本書のテーマは、紀元前3000年頃に始まり、メソポタミアから地中海東岸にかけて繁栄してきた青銅器時代文明が、紀元前1177年に突如として消滅してしまった原因は何か――である。従来、この文明崩壊は「海の民」と呼ばれる謎の集団によってもたらされたと考えられてきた。ならば、「海の民」とは、どういう者たちなのか。最新の考古学の知見を総動員して、著者がこの難問に挑む様は、証拠を重んじるシャーロック・ホームズを思わせる。

「登場したと思うまもなく、兵士たちは世界史の舞台を嵐のように通り過ぎて、あとに死と破壊を残していった。現代ではまとめて『海の民』と呼ばれているが、かれらに襲撃されて記録を残したエジプト人は、そんな名称は一度も使っていない。複数の民族集団がつるんで襲ってきたと見なしていたからだ。その民族とは、ペレセト人、チェッケル人、シェケレシュ人、シャルダナ人、ダヌナ人、ウェシェシュ人――耳慣れない名前の見慣れない人々だった」。

「(その侵入は)紀元前1177年のことだった。(エジプトの)ラムセス3世の治世第8年である。古代エジプト人によれば、そしてまた後代の考古学的資料によれば、『海の民』と言っても全員が海路をとっていたわけではなく、一部は陸路でやって来た。そろいの軍服を着ていたわけでも、ぴかぴかの装備をそろえていたわけでもない。古代の図像を見ると、頭に羽飾りをつけた集団もあれば、ぴったりした帽子をかぶっている一派もある。角つきのかぶとをかぶっている者がいるかと思えば、無帽の者もいる。短いあごひげを尖らせて短いキルトを着ている者、上半身裸の者、チュニックを着ている者。ひげをきれいに剃って、スカートのような長い服を着ている者もいる。こういう図像を見ると、『海の民』はさまざまな地域、さまざまな文化圏からやって来た多様な集団の寄り集まりだったのではないかと思われる。鋭い青銅の剣、光る金属の穂先をつけた木の槍、そして弓矢で武装して、船に乗り、荷車に乗り、牛車に乗り、戦車に乗ってやって来た。本書では、紀元前1177年をターニングポイントの年としている。しかし、じつはこの侵入者たちは、かなり長い期間にわたって、何度も波のように押し寄せてきたのである。兵隊だけが来ることもあれば、家族をともなって来ることもあった」。

「ラムセス3世の碑文によれば、雪崩のように襲来する侵入者の大群を前に、踏みこたえられた国はなかった。抵抗してもむだだった。当時の大国――ヒッタイト、ミュケナイ、カナン、キュプロスなど――が次々に陥落していった。生き残った者はあるいは虐殺から逃げ、あるいはかつて繁栄を誇った都市の廃墟にしがみついた。また、侵入者の集団に加わった者もいた。そのため侵入者の戦列はいっそう厚みを増し、もともと統一性に欠けていた外見もますますばらばらになっていった。『海の民』を構成する集団は流動的で、行動をともにする動機も集団ごとに異なっていたようだ。もちろん戦利品や奴隷が目当ての者もいただろう。人口圧によって西方の故郷に住めなくなり、やむなく東方へ移住してきた者もいたかもしれない」。

エジプト軍が「海の民」なる混成軍と戦ったのは、紀元前1177年が初めてのことではなかった。その30年前の紀元前1207年にも正体不明の集団が連合軍を形成してエジプトを襲っているのだ。「紀元前1207年と同じく、のちの前1177年にもエジプトは勝利した。『海の民』が3たびエジプトに押し寄せることはなかった。・・・エジプト以外に目を向けると、エーゲ海地域および近東では、紀元前二千年紀の初めに存在したその他の国や勢力――『後期青銅器時代』と呼ばれる黄金時代に栄えた――は、ほとんどが衰退または消滅している。直後に滅びなかったとしても、1世紀と持ちこたえることはできなかった。しまいには、この地域ではあらかた、文明そのものが消滅したようなありさまだった。それ以前の数世紀間に達成された進歩発展は、すべてではなくともその多くが、ギリシアからメソポタミアにかけての広大な地域で消え失せてしまったのである。そして次の(鉄器時代)文明が登場するまで、少なくとも1世紀、場所によっては3世紀以上もかかっているのだ。これら滅びた王国の最後の日々には、地域全体が恐怖に支配されていたのはほぼまちがいないだろう。シリア北部のウガリト王国から送られた粘土板の手紙に、その明らかな実例を見ることができる」。

本書では、紀元前1177年の3世紀前まで遡って精密な考察が展開されており、初めて知る史実の多さに自分の浅学を思い知らされた。一例を挙げておこう。「後期青銅器時代は混沌のうちに終わるが、その混沌を抜け出して、新たな世界秩序を作りあげる民族集団のひとつ、それがイスラエル人(=ヘブライ人)なのだ」。

「海の民」の正体は何なのか。「10年前にテルアヴィヴ大学のイズレイル・フィンケルシュタインの唱えた説が、いまでも最も妥当性が高いように思われる。彼の考えでは、『海の民』の移住はただ一度のできごとではなく、長い年月をかけて何段階にも分かれておこなわれたのであり、第1段階が始まったのは前1177年ごろ、ラムセス3世の治世初期で、最後の段階が終わったのは前1130年ごろ、ラムセス6世の時代であるという」。

「この時期にカナンに新しい人々が入ってきて住み着いたのには疑問の余地はないが、この(ヤスル・ランダウによる)新たな復元図においては、『海の民』すなわちペリシテ人の侵略という恐怖の亡霊は消えて、新天地で新生活を始めようとやって来るさまざまな移民集団という、もっと平和的な図像に置き換えられているわけだ。破壊だけを意図した軍事的な侵略者というより難民に近く、つねに地元民を攻撃して征服しようとするとはかぎらない。というより、たんに地元民に交じって住み着いてしまうことが多かった。いずれにしても、エーゲ海・東地中海地域において、かれらだけが原因で(青銅器時代)文明が終焉を迎えたというのはいささか考えにくい」。

文明崩壊の原因として提唱されてきた仮説一つひとつの丁寧な検討を経て、著者は、地震、飢饉や干ばつ、気候変動、内乱、外敵の侵入、交易ルートの断絶などの複合要因が重なり合った結果だという結論に到達している。「50年にわたってギリシアおよび東地中海地域をゆるがした地震の頻発だけでもない。この時期、干ばつと気候変動でこの地域が荒廃したとしてもそれだけではない。・・・これら個々の要因はいずれも、それだけでは壊滅的な打撃には遠く、すべての文明はおろか、ひとつだけでも滅ぼすにはいたらなかっただろう。しかしこれらが重なれば、各要因の影響が増幅されて、一部の学者の言う『乗数効果』を引き起こすというシナリオも考えられる。システムの一部がダウンすると、ドミノ効果によってそれが波及し、ほかの部分もダウンしていく。その後に起こる『システム崩壊』は、次々に社会を瓦解させていく。ひとつには、これらの文明が依存していたグローバル経済が分裂し、また相互の関連が分断されるからである。・・・青銅器時代の従来的な交換・生産・消費の形態が変容し、その程度がはなはだしかったことから、外敵の侵入や天災が重なって『乗数効果』が起こったとき、システムはそれを乗り越えられなかったのだと見るわけだ。・・・気候変動によって引金が引かれたことは大いにありうるし、あるいは地震や敵の侵略によって早まった可能性もある」。

実に読み応えのある、歴史好きには堪らない一冊である。