『カササギ殺人事件』の原稿の結末部分が行方不明! 作品内の殺人の犯人は? 作者の死の真相は?・・・【情熱の本箱(262)】
『カササギ殺人事件』(アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳、創元推理文庫、上・下)の前半部分(日本語版の上巻)は、このような展開を見せる。
亡くなったのは、パイ屋敷と呼ばれる准男爵の邸宅で長年、家政婦として働いてきたブラキストン夫人。彼女は、主の留守中に、石張りの階段の下で首の骨を折って死んでいた。館の出入り口は全て施錠されており、階段の手すりに掃除機がぶら下がっていたことから、警察はコードに足を取られて落下した不幸な事故による死と判断する。だが、村では、不仲だった息子・ロバートが殺したのではないかという噂が広がる。ロバートの婚約者・ジョイは、名探偵として名高いアティカス・ピュントの下を訪れて、無責任な噂を打ち消すために村に来てほしいと依頼するが、自分にできることは何もないと言われてしまう。実は、ピュントは、その日の午前中に不治の病で余命2、3カ月と診断されたため、新たな依頼は受けられなかったのだ。
ところが、家政婦の死から、ほんの2週間も経たないうちに、今度は、その雇い主の裕福な地主、サー・マグナス・パイが夜遅く、玄関ホールに飾られていた中世の鎧の剣で首を刎ねられるという、何とも惨たらしい方法で殺害される。この殺害事件を知ったピュントは、当初は依頼を断ったものの、ジョイの話に引っかかるものを感じて、助手兼秘書のフレイザーが駆る車に乗って現地に向かう。
家政婦の死、その後の空き巣、地主の惨殺。いつでも、どこでも他人の秘密を嗅ぎ回るブラキストン夫人の死は、本当に不幸な事故だったのだろうか。「このサクスビー・オン・エイヴォンという村には、わたしを不安にさせる何かがある。人間の邪悪さの本質について、わたしは以前きみ(フレイザー)に話したことがあったね。誰も目にとめない、気づくこともない、ほんの小さな嘘やごまかしが積もり積もったあげく、やがては火事であがる煙のように、人を包みこんで息の根を止めてしまうのだ」と語るピュントは、避けようのない死と対峙しつつ、小さな村の裏面に隠されてきた人間の邪悪さの本質を剔出すべく、推理を巡らしていく。「もつれあう容疑者、さまざまな動機、そして関連があるのかどうかわからないふたつの死」。
そして、前半の最後に至って、フレイザーから「誰が犯人なのか、あなたにはもうわかっているんでしょうね」と問われ、ピュントは「わたしにはすべてわかっている、ジェイムズ。わたしがすべきなのは、それぞれの事実を結びつけることだけだったのだが、いまや、すべてがはっきりとした」と答えている。さらに、「あの男は、わたしが知りたかったことをすべて教えてくれたよ。あの男こそは、この事件のきっかけを作った人物なのだからね」。「本当ですか? いったい、何をしたんです?」。「自分の妻を殺したのだ」――上巻は、ここで終わっている。
いよいよ謎が解けるに違いないと、いそいそと本作品の後半部分(日本語版では下巻)に取りかかった読者は、下巻冒頭の語り手の「こんなに腹立たしいことってある?」という書き出しに、唖然とすることになる。
語り手の「わたし」とは、『カササギ殺人事件』の作者、アラン・コンウェイの編集担当者、スーザン・ライランドである。スーザンが怒っているのは、『カササギ殺人事件』のプリントアウトした原稿を読んできて(すなわち、上巻部分を読み進めてきて)、ミステリにとって必要不可欠な結末部分が欠けていることに気づき、慌てているのである。いかに人気作家のシリーズ第9作といっても、結末なしの推理小説を出版するわけにはいかないからだ。
上司の出版社CEO(最高経営責任者)のチャールズ・クローヴァーに結末部分について尋ねても分からないと言われるし、あちこち探しても見つからない。そこで、わたし(スーザン)は必死になって結末部分の原稿探しに奔走することになる。
そんな中、アラン・コンウェイが、いつも朝食と昼食を取る塔の屋上の円形テラスから墜落死しているのが発見されたという報告がもたらされる。その直後、重病で余命僅かという宣告を医師から受けたとの、チャールズ宛てのアランの遺書が届く。
アランの遺書に違和感を覚えたわたしは、アランの死の真相を探ろうと、探偵まがいの行動に出る。「人殺しを描く作家が殺された、か。きみは、本気でそんなことを信じているのかね、スーザン?」。同時にアランの結末部分の原稿探しも続けねばならない。
調査を進めるにつれて、『カササギ殺人事件』の内容と、アラン自身を巡る状況の共通点が明らかになっていく。
本作品は、入れ子構造になっている。すなわち、読者が前半で読まされたのは、わたしが担当するミステリ作品の不完全原稿であり、後半で読むことになるのは、わたしの『カササギ殺人事件』の欠落原稿探し、『カササギ殺人事件』の中の犯人捜し、『カササギ殺人事件』の作者の死の真相探し――の進行中間報告なのである。入れ子構造の作品というのは、これまでもないわけではないが、本書が成功しているのは、単なる入れ子構造ではなく、大きな箱と中の小さな箱の中身の間に密接な関係性があり、複雑に呼応し合うように仕組まれているからだ。
さらに、本書はアガサ・クリスティへのオマージュ作品ともなっている。
精巧に組み立てられた入れ子構造、大きな箱と中の小さな箱の中身の不思議な関係性、『カササギ殺人事件』の結末部分の行方、『カササギ殺人事件』の犯人、『カササギ殺人事件』の作者の死の真相――の、いずれも意外な結末、そして、作中で展開される興味深いミステリvs純文学論。私がこれまで読んできた中で、本格推理小説の最高峰と言っても過言ではないだろう。