「現実歪曲フィールド」で事業を成功に導き、それによって自らの命を縮めた男、スティーブ・ジョブズ・・・【情熱の本箱(299)】
スティーブ・ジョブズは、同時代に生きた人物として間違いなく重要な一人である。『スティーブ・ジョブズ』(ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳、講談社、Ⅰ・Ⅱ)は、彼を知ろうとするとき、欠かすことのできない著作である。ウォルター・アイザックソンに対して、ジョブズの妻・ローリーンがこう告げている。「彼の人生や性格には、どうにもめちゃくちゃな部分がありますが、それが真実ですから。それをごまかす必要はありません。彼は操るのが上手なんです。でも同時に、注目に値する並はずれた人生を歩んでも来ました。それらを、すべて、うそ偽りなく語っていただきたいと思います」。なお、「現実歪曲フィールド」というのは、アップルの昔の仲間が、ジョブズの自己本位な性格をこう呼んだことに発している。
ジョブズは、完璧を求める情熱と、その猛烈な実行力とで、6つもの業界――パーソナルコンピュータ、アニメーション映画、音楽。電話、タブレットコンピュータ、デジタルパブリッシング――に革命を起こしたクリエイティブなアントレプレナー(起業家)であり、その人生はジェットコースターのように起伏の激しいものであった。今や、彼は、創意工夫、想像力、持続的イノベーションを象徴する究極の偶像となっている。「21世紀という時代に価値を生み出す最良の方法は創造性と技術をつなぐことだとジョブズは理解していた。だから、想像力の飛躍にすばらしいエンジニアリングを結びつける会社を作ったのだ」。
私がとりわけ興味を惹かれたのは、ビル・ゲイツとジョブズとの複雑な関係である。「ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズは技術と事業の融合という似たような願望を抱いていたが、育ちもかなり違えば性格はまったくというほど違っていた。・・・ジョブズと違い、ゲイツはコンピュータプログラムを習得しており、考え方は現実的で規則を重んじる。分析能力も高い。ジョブズはもっと直感的で夢見がちだが、技術を使えるようにする、デザインを魅力的にする、インターフェースを使いやすくするなどの面にするどい勘が働く。完璧を強く求める情熱があり、そのせいで他人に対してとても厳しく、カリスマ性と広範囲・無差別な激しさで人を動かす。ゲイツはもっと整然としている。きっちりとスケジュールが組まれた会議で製品レビューをおこない、緻密なスキルで問題の核心に斬り込む」。
「『どちらも、<頭は自分のほうがいい>と思っていましたが、美的感覚やスタイルを中心にスティーブがビルを若干、下に扱うことが多かったと思います。逆にビルは、プログラミングができないことからスティーブを格下に見ていました』とアンディ・ハーツフェルドはふたりを評する。知り合ったころからゲイツはジョブズに惹かれていたし、人を魅了する能力をうらやんでいるところもあった。同時にジョブズを『根本的におかしく』『人間として大きな欠陥を抱えている』とも評価していたし、ジョブズの荒っぽいところや<相手を罵倒するか誘惑しようとするかのどちらか>であるところは嫌だと思っていた。ジョブズはジョブズで、ゲイツは人間の幅が狭すぎると感じており、『若いころにLSDをやったり僧院に入ったりしていれば、もう少し人間の幅が広がったかもしれないけどね』とコメントしたことさえある」。
「個性や人格の違いから、ふたりは、デジタル時代を二分するラインの両側に分かれた。ジョブズは完璧主義ですべてをコントロールしたいと強く望み、アーティストのように一徹な気性で突き進んだ。その結果、ジョブズとアップルはハードウェアとソフトウェアとコンテンツを、シームレスなパッケージにしっかりと統合するタイプのデジタル戦略を代表する存在となった。これに対してゲイツは頭がよくて計算高く、ビジネスと技術について現実的な分析をおこなう。だから、さまざまなメーカーに対し、マイクロソフトのオペレーティングシステムやソフトウェアのライセンスを供与する。知りあって30年がたち、ゲイツは不本意ながらもジョブズに敬意を払うようになった。『技術そのものはよくわからないというのに、なにがうまくいくのかについては驚くほど鼻が利きますね』。一方、ジョブズは、ゲイツの強さを正当に評価しようとしない。『ビルは基本的に想像力が乏しく、なにも発明したことがない。だから、テクノロジーよりもいまの慈善事業のほうが性に合ってるんじゃないかと思うんだよね。いつも、ほかの人のアイデアをずうずうしく横取りしてばかりだから』」、
ジョブズの女性に関する述懐も興味深い。「『僕が心から愛した女性はふたりだけ、ティナ(・レドセ)とローリーン(・パウエル)だけだ。ジョーン・バエズも愛していると思ったけど、大好きなだけだった。まずティナ、そしてローリーン。それだけだ』」。
ジョブズの若すぎる死にも、彼の「現実歪曲フィールド」が大きく関与している。「パウエルによると、医師らは良かったと涙ぐんだらしい。膵島細胞腺腫あるいは膵臓神経内分泌腫瘍と呼ばれる珍しい腫瘍で、進行が遅く、その分、治療できる可能性が高いものだったのだ。腎臓の定期検査でたまたま早期に発見できたことも幸運で、あちこちに転移する前に手術で取り除けそうだという。・・・ところがである。腫瘍は手術で除去するしか医学的に認められた対策がないというのに、ジョブズは手術を拒否し、友人や妻をぎょっとさせた」。
「ジョブズの抵抗は2003年10月の診断から9ヵ月間続いた。これは彼の現実歪曲フィールドが持つ暗黒面でもあるとレヴィンソンは言う。『スティーブは世界がこうあってほしいという思いが強く、意志の力でそうしてきた面もあったと思うんです。でも、それがうまくいかない場合もあるのです。現実はやさしくありませんからね』」。
「2004年7月の金曜日、新しいCTスキャンには大きくなった腫瘍が写っていた。広がった可能性もある。さすがのジョブズも現実と向き合うしかなかった。手術は、2004年7月31日の土曜日、スタンフォード大学メディカルセンターでおこなわれた。当初は膵臓のほか、胃と腸も大きく取り除く『ホウィップル手術』が検討されたが、最終的には、膵臓の一部のみを取り除く小規模の手術となった。・・・残念ながら、がんは広がっていた。手術中、肝臓に3ヵ所の転移が見つかった。9ヵ月早く手術していたら広がる前だったかもしれない――もちろん、確実なことは誰にも言えないのだが」。
「2011年7月、骨をはじめ体のあちこちにがんが転移してしまい。もはや分子標的薬でも適切な薬が見つけられなくなった。体中が痛み、気力も体力も失って仕事に行けなくなる」。2011年10月5日、56歳没。
最後に、がん闘病中の2005年6月、スタンフォード大学卒業式でジョブズが行った印象深いスピーチに触れておこう。<人生を左右する分かれ道を選ぶとき、一番便りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。ほとんどのことが――周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖など――そういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、なにかを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。人とは脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません>。
このスピーチの最後に置かれた「Stay Hungry. Stay Foolish.」もいいが、死について語っている部分のほうが意味深いと、私は思う。