榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

小説の女神に魂を捧げた小島信夫の内奥を知るのに欠かせない一冊・・・【情熱の本箱(396)】

【ほんばこや 2022年2月17日号】 情熱の本箱(396)

運命の謎――小島信夫と私』(三浦清宏著、水声社)では、三浦清宏と文学の師・小島信夫との関係が率直に語られている。

二人の出会いはアメリカで、「小島さん42歳、私が27歳の夏のことです」。「その頃聞いた言葉で印象に残っているのは、『結局、世の中で楽しいことは、女しかありませんよ』という一言です」。

「私が日本に帰って最初に小島さんにお会いしたのは、国立(くにたち)にできたばかりの新居に移られて間もなくの頃、一人目の奥さんもまだご健在で、リビングルーム兼応接間の中央に大きなテーブルが出ていて、そこで家族の食事から来客の接待まで、すべてこなしておられました。昭和37(1962)年の秋のはじめ頃だったと思います。小島さんは47歳、私は32歳、アイオワでお別れしてから5年近くが経っていました」。

「私は3つめの選択肢、『小島さんの後について行く』ということを選んだわけですが、そうせずに、今言った最初の選択肢のうちのどちらかを選んだ方がよかったかどうかは、まったくわかりません」。

「私が小島さんの家に下宿したのは、昭和38(1963)年の秋の末頃から、翌年の夏、大学が夏休みに入る頃までのほぼ半年ほどの間でした。小島さんの奥さんが亡くなってから、小島さんが再婚され、その後、私も結婚するまでのことです。小島さんにとっても、私にとっても、言わば、宙ぶらりんの状態で、小島さんの場合は、奥さんを失って、残った2人の子供を抱え、家庭をどうやって立て直していくかという極めて不安定な時期であったと同時に、創作活動の方でも、それまでの、社会の片隅から弱者の眼で世の中を眺め、それを寓意や物語の中で表現するという暗示的な姿勢から、もっと普遍的な眼で自分と社会を眺め、自分をさらけ出してでも真実を訴えようという姿勢へと、大きく転換する時期でもありました」。

「何を話していたかというと、だいたい小説か、小説を書くことにまつわることです。・・・要するに文学世界の裏話ですね。小島さんはそういう話が大好きでした。いわゆる文学論のような正面切った『高尚な』話は決してされなかった。作家を論じる場合でも、人が気づかないような部妙な点を捕えて、そこから対局に及ぶ、あの小島流です」。

「小島さんに親しい人たち皆さんが言っている通り、『小島さんの生活のすべての部分が、小説を書くことに結びついていた』、と言えると思います。・・・奥さんが入院していた病院の看護婦が感じがいい人だったらしく、その人に会いにいった話などしていました。こういうことは『苞葉家族』(小島信夫著、講談社文芸文庫)にも書いてありますが、細部を除いて事実だったと考えていいと思います」。

「『苞葉家族』では、アメリカ帰りの青年山岸が、奥さんが亡くなった後に、『ぼくでよかったら来ますよ』と積極的に言って、引っ越してくることになっている。ちょっとそこのところが作者の都合のいいようにできていますが、あの青年山岸は、間違いなく私がモデルです。あの頃、小島家に移り住んだアメリカ帰りの人間は、私以外にはいませんでしたから」。

「小島さんは毎晩小説の話をしながら、私にも小説を書けと、何度も勧めました。小島さんは、誰かと親しくなると、必ずといっていいくらい、小説を書くように勧めていたようです。小島さんは、小説という芸術のジャンルに絶対とも言える信頼を置いていました。彼にとっては、小説は単なる技芸や生活の手段などではなく、生活そのもの、人生そのもの、信仰の対象ですらありました。ちょっと西洋芸術的な言い方をすれば、小説の女神に魂を捧げて、毎日その言葉を書き留める人間といったところです」。

「『文学とは豊かなものだ』と、言われたことがあります。そぎ落としたり、削ったりするのではなく、いろいろなものを取り込んでゆくのが小島さんのスタイルでした」。

「いろいろと話した小島さんが、最終的に私に要求したことは、たった一つ、『自分を書け』ということでした」。

「小島家に下宿した半年間は、私が小島魔術の虜になるに至った時期だったですね。私は根が信じやすい男なものですから、いったん信じたら、なかなかそこから抜け出すのが難しく、小島魔術の影響はその後もずっと続いたと言っても過言ではありません」。「私の小島さんとの体験は運命的なものでした。私の心が小島さんの心と共鳴してしまったのです。選択の余地などはありません」。「最終章を書きながら、私ははじめて、この文章を書きはじめた本当の理由を理解した。私がいかに小島さんに依存していたか、小島さんあっての三浦清宏だったか」。

本書を読み終えて、小説の女神に魂を捧げた小島信夫の内奥を知るのに欠かせない一冊である、と確信した。