地球や太陽どころか、宇宙そのものにも終わりが訪れる・・・【情熱の本箱(402)】
これほど恐ろしい本が出現したことがあっただろうか。『時間の終わりまで――物質、生命、心と進化する宇宙』(ブライアン・グリーン著、青木薫訳、講談社)は、地球や太陽どころか、宇宙そのものにも終わりが訪れるというのだ。
本書には、宇宙の始まりであるビッグバンから宇宙の終焉までが壮大なスケールで描き出されているが、何と言っても圧巻は、宇宙に終わりが訪れる部分である。
宇宙の終焉は、このように描かれている。「エンパイアステートビルの102階から宇宙を見れば、宇宙空間のいたるところを霧のように漂う粒子ぐらいしか、見るべきものはないことがわかるだろう。ときおり、電子とその反粒子である陽電子とのあいだに作用する引力が、両者を螺旋軌道上でじりじりと接近させ、最終的にその電子ー陽電子ペアは、小さな閃光を出して消滅する。針で突いたようなその光は、またたくまに黒闇の中を走り去るだろう。もしも暗黒エネルギーがすでに枯渇して、空間の膨張速度が減速に転じていたなら、粒子が落下するにつれてブラックホールはどんどん大きくなり、放射を出すペースはゆるやかになって、その寿命はさらに延びるかもしれない。しかし、もしも暗黒エネルギーが現在の値を保っていれば、空間の加速膨張のために粒子たちはスピードを上げて互いに遠ざかり、二度と相まみえることはないだろう。興味深いことに、この状況は、ビッグバン直後の時期のそれに似たところがある。宇宙初期でも、孤立した粒子が空間に散在していたのだった。初期と末期の違いは、初期宇宙では、粒子密度がきわめて高かったので、重力は粒子たちに働きかけて、恒星や惑星などの構造を容易に作ることができたのに対し、末期宇宙では、粒子の密度はあまりにも低くなり、空間は仮借なく膨張密度を上げていくため、恒星や惑星のような塊ができる可能性はほとんどないということだ。初期宇宙の塵は、すぐにもエントロピック・ツーステップを踊り出せる状態にあり、重力に駆り立てられて秩序ある天文学的構造をどんどん作っていったのに対し、末期宇宙における塵は、あまりにも希薄に広がってしまい、虚空の中をひっそりと漂うことしかできない」。
「物理学者たちは、未来のこの時代を『時間の終わり』と言うことがある、時間の流れが止まるわけではない。しかし、広大な空間の中で、孤立した粒子があちこちに移動する以外には何も起こらなくなったとき、宇宙はついに忘却の彼方に去り、宇宙のことを知る者は誰もいなくなったと結論するのは妥当だろう」。
「(これまで行ってきた)探究のすべてにもとづき、次のようにまとめるのが妥当だろう。われわれが暮らしているこの領域、この宇宙において、われわれ人類は、そしてより一般に『思考する者』は、確実に終わりの時を迎える。それはまだ遠い未来のことだが、エンパイアステートビルを上る途中で、あるいは上りきったその先で、ほぼ確実にそのときは来る」。
「われわれが長きにわたって『唯一の』宇宙だと思っていた領域では、生命と思考はいずれ終わりを迎えることになりそうだ」。
恐るべき一冊である。