晴耕雨読という理想的な生活を夢見て・・・【リーダーのための読書論(36)】
私が今、一番羨ましいのは、細川護熙(もりひろ)である。彼が名門の出だから、あるいは県知事、首相まで上り詰めたから羨ましいのではない。60歳を期して、政界からすっぱりと足を洗い、郊外に閑居し、晴耕雨読の生活を送っているから羨ましいのだ。
『不東庵日常』(細川護熙著、小学館)には、湯河原の私邸・不東庵での著者の晴耕雨読と作陶の日々が淡々と描かれている。彼は60歳での隠棲を前々から考えていたと言うが、これほどきっぱりと実行できる者は稀である。先ず、この決断力と実行力が羨ましい。西行や良寛の生き方や歌に長く惹かれてきたこと、鴨長明や吉田兼好の随筆を読んで共感を深めてきたことに影響されていると述べている。
閑居の舞台は、母方の祖母(近衛文麿の妻・千代子)が遺してくれた神奈川県・湯河原の500坪の土地と30坪の平屋建ての木造家屋である。ここに居を移し、僅かな身の回りの品と気に入った本を運び込んだ。敷地の一角に小さな畑を作った。こうして文字どおり晴耕雨読の生活を始めたのである。晴耕雨読以外では、花を生けたり、友人と一服の茶を喫する席を持つ。その後、作陶が加わったため、工房と窯を備えた。私たち庶民から見ると、とても閑居とは思えないが、大きな建物にばかり暮らしてきた本人にとっては閑居なのだろう。
母屋の前の芝生の庭には数個の自然石が点在するだけで、灯籠も何もなく、周囲を自然木が囲んでいる。居間の縁先には祖母の自慢であった雲南黄梅(迎春花)の蔓棚がある。圧巻は、樹齢170~180年といわれる枝垂桜で、季節になると知友が集まって花見の宴が催される。そのほか山桜が数本、藪椿、侘助、紅白の梅、木犀、ヤマボウシ、ヒメコブシなどが植わっている。家の周辺には甘夏、金柑、柿、無花果、栗、サクランボなどがあり、タラノメ、ムカゴ、蕗などが自生している。さらに、朝となく夕となく、鳥が囀り、家のすぐ近くを流れる藤木川の水音が聞こえてくるというのだ。海と山に近く、海風、山風が心地よい。その時の気分に任せて、耕し、書を繙き、轆轤を回し、時に筆を執る。何と魅力的な環境、生活だろう。羨ましい限りである。
裏山や庭先にシジュウカラ、ジョウビタキ、シロハラ、キジバト、セグロセキレイ、ウグイス、メジロ、ホウジロなどの野鳥がたくさんやってくるとは、私のようなバード・ウォッチャーには本当に羨ましい。
焼き物(陶器)の作業場は工房と窯場との二棟から成っていて、短い渡り廊下が両者を繋いでいる。工房は近くの温泉から引いた湯を利用して床下暖房がしてあるので、ほんわかとしたぬくもりが居心地よく、一日のほとんどの時間をここで過ごす。さらに、著者は一風変わった茶室を建ててしまうが、あまりに奇抜過ぎて、私の好みには合わない。
私には焼き物を作る趣味はないが、焼き物を見るのは楽しい。高価なものでなくとも、自分が気に入った茶碗で茶(抹茶に限らず、煎茶、焙じ茶、玄米茶であろうと)を飲むと癒やされる。
著者が、形式ばった茶道を嫌い、簡素で自由な茶が好きと言うのには共感できる。花を生ける場合、花に限らず、枯れ枝でも蔓草でも、庭の片隅や散歩の道すがら目に留まったものを素材にすることが多い。それも華道に囚われず専ら「投げ入れ」という点にも共感を覚える。
知れば知るほど、羨ましくなる。
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