大橋鎭子と花森安治が「暮しの手帖」に込めた思い・・・【あなたの人生が最高に輝く時(70)】
絶妙なコンビ
『しずこさん――「暮しの手帖」を創った大橋鎭子』(暮しの手帖社・暮しの手帖 別冊)で、「暮しの手帖」を創り上げた大橋鎭子(しずこ)と花森安治の絶妙なコンビのことを詳しく知ることができました。
大橋鎭子の思い
鎭子には明確な目的がありました。女の人のための本を作るために立ち上がったのです。「自分の知らないことや知りたいことを調べて、それを出版したら、きっと同世代の女の人が読んでくださる。鎭子さんは、そう思いつきました」。「鎭子さんは25歳の若さで起業することを決意し、出版を志した」。
花森安治の思い
鎭子と、比類なき編集者と評された花森の運命的な出会いが「暮しの手帖」を誕生させたのです。花森は、太平洋戦争に対する後悔、そして自身を含む皆が二度と騙されてはならないという決意から、戦争をしない世の中にしていくための雑誌を作りたいと考えていました。「もう二度とこんな恐ろしい戦争をしない世の中にしていくためのものを作る。戦争は恐ろしい。何でもない人たちを巻き込んで、末は死にまで追い込んでしまう。戦争に反対しなくてはいけない。国は軍国主義一色になり、誰もかれもが、なだれをうって戦争に突っ込んでいったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしなかったからだと思う。もしみんなに、あったかい家庭、守るに足る幸せな暮らしがあったなら、戦争にならなかったと思う」。女の人の役に立つ雑誌、暮らしが少しでも楽しく、豊かな気分になる雑誌、できるだけ具体的に衣食住について取り上げる雑誌――という方針が決まりました。
暮しの手帖
1948年9月20日発売の「暮しの手帖」第1号の表紙裏には、花森が書いた一文が掲載されました。「これは あなたの手帖です いろいろのことが ここには書きつけてある この中の どれか一つ二つは すぐ今日 あなたの暮しに役立ち せめて どれかもう一つ二つは すぐには役に立たないように見えても やがて こころの底ふかく沈んで いつか あなたの暮し方を変えてしまう そんなふうな これは あなたの暮しの手帖です」。
鎭子と花森は、作家、学者、研究者、財界人などの、その専門の話ではなく、「暮らし」についての随筆も載せたいと考えました。「鎭子さんと花森さんが作った、それまでにはなかった新しい生活雑誌『暮しの手帖』。衣食住の工夫と発案のほかに、各界で活躍する著名な執筆陣が綴った『暮らし』のお話も、誌面の大きな魅力でした。その原稿をお願いにあがったのは、鎭子さんと妹の芳子さん。さまざまな方々のすばらしい文章に支えられた『暮しの手帖』でした」。
暮しの手帖社
鎭子は、社長、編集、何でもやりました。「女性が力を充分に発揮できる会社を作りたい。そんな理想の会社像を胸に、鎭子さんは、『社長兼一編集者』として走り続けました」。
鎭子の言葉
鎭子の強い思いと信念は、その言葉――「わたしはともかくやってみます」、「人には親切に、人を大切に」、「戦争は悲しい」――に表れています。
自分の目標に向かって突き進めと、身をもって示した鎭子に、大いに勇気づけられる、写真満載の一冊です。