「暮しの手帖」の花森安治の挿し絵と言葉が織りなす世界・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1988)】
一度、実物を見てみたいと思っていたルリタテハに出会い、撮影することができました。シロバナマンジュシャゲ、ヒガンバナが花を咲かせています。
閑話休題、『美しいものを――花森安治のちいさな絵と言葉集』(暮しの手帖社)には、「暮しの手帖」の編集長だった花森安治のカット(挿し絵)と言葉が集められています。「本書には、随筆、料理、手芸、ファッションなど、さまざまなジャンルの誌面を彩った花森の挿画500点余りと、暮らしの美学に触れる言葉を収録しています。『暮しと結びついた美しさが、ほんとうの美しさだ』と、部員に言っていたように、挿画の題材の多くは身近なものです。ここにあるちいさな絵のひとつひとつは、暮らしを大切にした花森が、慈愛に満ちた観察眼で、身近なものに『美しさ』を見出し、描いたものです。そして、『ほんとうの美しさ』を追求した花森の、珠玉の言葉を散りばめています」。
「美しいものは、いつの世でも お金やヒマとは関係がない みがかれた感覚と、まいにちの暮しへの、しっかりした眼と、そして絶えず努力する手だけが、一番うつくしいものを、いつも作り上げる」。
「美しいものを見わける眼を持っているひとは、どんなときでも、自分の暮しを、それなりに美しくすることが出来る、幸せなひとである」。
「私たちの日日の暮しを、少しでも明るく。愉しくする、そのことを何よもり大切に考えるのが、ほんとうの『おしゃれ』である」。
「ちょっとした ちいさな工夫が 大きなよろこびと ゆたかな愉しさを 作りだすことがある」。
「一号から百号まで、どの号も、ぼく自身も取材し、写真をとり、原稿を書き、レイアウトをやり、カットを画き、校正をしてきたこと、それが編集長としてのぼくの、なによりの生き甲斐であり、よろこびであり、誇りである、ということです。雑誌作りというのは、どんなに大量生産時代で、情報産業時代で、コンピューター時代であろうと、所詮は『手作り』である。それ以外に作りようがないということ、ぼくはそうおもっています。だから、編集者は、もっとも正しい意味で『職人』的な才能を要求される、そうもおもっています。ぼくは、死ぬ瞬間まで『編集者』でありたい、とねがっています。その瞬間まで、取材し写真をとり原稿を書き校正のペンで指を赤く汚している、現役の編集者でありたいのです」。
「まだ風は肌をさし、道からは冷気がひしひしと立ち上る、あきらかに冬なのに、空気のどこかに、よくよく気をつけると、ほんのかすかな、甘い気配がふっとかすめるような、春は、待つこころにときめきがある。青春は、待たずにいきなりやってきて胸をしめつけ、わびしく、苦しく、さわがしく、気がつけば、もう一気に過ぎ去っていて、遠ざかる年月の長さだけ、悔いと羨みを残していく」。
独特な絵も文章も味わい深い一冊です。