『死の棘』の嫉妬に狂う妻・島尾ミホの実像に迫った、力漲る評伝・・・【情熱の本箱(381)】
評伝『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』(梯久美子著、新潮文庫)は、島尾敏雄の『死の棘』で夫の浮気に激しく荒れ狂う妻として描かれた島尾ミホの評伝であるが、梯久美子の、敏雄・ミホ夫妻それぞれの日記、手紙、草稿、ノート、メモなど膨大な資料に基づく綿密な追跡調査によって、思いがけない事実が突き止められている。
思いがけない事実の第1――。今や定説化しているといってもよい、「特攻隊長と島の娘の運命的な愛の物語」、「純粋稀有な夫婦愛を描いた作品」、「日本の古代の神話的世界における理想的男女の愛の葛藤」、「無垢で激しい愛ゆえに狂気に至った聖女のような女性」といった『死の棘』やミホの評価が、事実とは異なることが明らかにされている。
事実の第2――。島尾が作家としての野心に衝き動かされていたことが暴かれている。ミホについても、自身が「書かれること」で敏雄の文学に協力する姿、そして、晩年は、作り上げられたイメージを守ることに固執する姿が示されている。
事実の第3――。島尾に「書かれること」に飽き足らず、自ら「書くこと」に没入していくミホが活写されている。
「のちに長篇『死の棘』が(16年かけて)完結し、複数の賞を受けて評価が定まると、ヒロインのミホは、激しい愛情ゆえに神経に異常をきたした純粋無垢な女性としてある種の理想化が行われる」。
「<私の理性は私の小説家としての資格を否定しているが、今からだって何がやって来るか知れたものではない!・・・はっきりひとに分ってもらうには、もっと犠牲が必要だ>。『もっと犠牲が必要だ』との一節は、その後に何が起こったかを知る読者の胸をざわつかせる。葛西善蔵も嘉村磯多も芸術のために家庭を戦場にしたのだ。・・・ミホが日記を見て狂乱したのは、この文章が書かれた十か月後である。島尾は今度こそ、なまなましい手応えのある悲劇を手に入れることができた。ミホはみずからの正気を犠牲として差し出すことで、島尾が求めた以上のものを提供したのである。・・・重要なのは、逃れようのない事態が起こることを島尾が求めていたことである。・・・破綻の中で初めて見えてくるものがあるはずだという期待が作家としての島尾の中にあり、この時期、それを見たいという強い欲望を持っていたのは確かだろう。ミホはミホで、自分が存分に狂ってみせることが、よどんで閉塞した状況に風穴をあけることになると、無意識のうちに気づいていたかもしれない。甘やかされたモダンガールだった二十代のころの彼女が『(加計呂麻島の特攻)隊長さま』の望む女性像を自然に汲み取り、悦びをもって殉死に踏み出そうとしたように。・・・そして島尾は、ミホの精神状態にもともと不安定なところがあり、何か決定的なことが起これば錯乱状態になるかもしれないことがわかっていた。・・・やはり、島尾は心のどこかで待ちのぞんでいたのではなかったか。ことが起こるのを、ある期待と怖れをもって。ただ、ミホがあそこまで見事に狂うことは予想していなかったかもしれないが」。
「この時期、島尾はみずからの作家的野心を刺激するものを家の外に求めていた。そちら側の生活を記録したのが、(愛人・川瀬)千佳子(仮名)との情事を記した『交渉のノート』だったのだろう。しかしそれは失われた。もっとも、もし残っていたとしても、ミホが生きている限り、島尾がそれをもとに小説を書くことはなかっただろうが」。
島尾とミホの長男・島尾伸三は、こう述懐している。「(父は)すべての人を不幸にしても、書きたい人だったんですよ」。
島尾夫妻とも、千佳子とも親しかった稗田宰子は、梯にこう証言している。「ミホさんが神経を病んだことを知って、島尾は内心いい素材ができて喜んでいるんじゃないか、と言った人もいました」。
「(島尾の原稿を)清書しながらしばしば狂乱しつつも、島尾に『死の棘』を書き続けることをうながしたミホ、それはミホ自身が、あの(夫の日記に記された、愛人との情事に関する)十七文字を帳消しにする膨大な量の言葉を島尾から捧げられることを求めていたからに違いない」。
「取材のときのミホは、『死の棘』に描かれた日々を、夫婦の絆を強固にするための神の試練であったかのように語」っている。
「晩年のミホは、『大作家の献身的な妻』を演じようとしていた」。
「島尾が逝って一人になったミホは、島尾は最初から最後まで絶対的な愛情を自分に注いでくれた理想的な夫であり、夫婦愛は一度も揺るがなかったというストーリーに固執するようになる。自分たち夫婦の歴史を、いわば再編集するのである」。
「絶対的な夫婦愛は、ミホが作り上げようとした神話だった。それは世間に対してだけではない。島尾のために養父を捨てたという負い目を抱えたミホは、島尾がそれに値する男であったこと、自分たちが至上の愛に結ばれた幸福な夫婦だったことを、誰よりもまず、死んだ養父母に対して示さなければならなかった。・・・ミホによる物語の中で、島尾の情事は抽象化され、天災、あるいは神の試練のように語られる」。
「彼ら(吉本隆明と奥野健男)が定義づけたミホ像は、ミホ自身にとっても受け入れやすいものだった。自分が演じた狂態を聖性の証しと読み替えることが可能になるからだ。吉本と奥野がともに強調している『巫女』という語は、ミホの狂気がどこにでもいる世俗の女の嫉妬からくるものではなく、古代、神、信仰といったものに源泉を持つことを暗示している」。
梯が見つけたミホのメモに、こういう文章が書きつけられていた。<その晩私は野獣に戻った。夫の日記に書かれたたった一行の十七文字を目にした時、突然ウォーウォーとライオンのほう吼が喉の奥からほとばしり、体じゅうに炎に焼かれるような熱気が走り、毛髪は逆立ち、四つ這いになって、私は部屋の中を駈け廻った>。島尾と愛人との情事が記されていたのである。ミホは『死の棘』の時期のことを自らの手で書こうと、『「死の棘」の妻の場合』と題した原稿を書き進めていたが、未完に終わっている。
ミホが島尾の日記を見た昭和29年には、島尾の愛人・川瀬千佳子は、夫と別居中の人妻で子供のいる、島尾より3歳年上の40歳であった。
「ミホもまた島尾と同じように、『書くこと』に魅入られた人だったのである」。
「五十歳のミホが描いたのは、島尾が登場しない世界だった。まだ島尾によって書かれていない自分、つまり島尾と出会う前の自分を主人公にしたのだ」。
実に読み応えのある一冊である。