『若きヴェルテルの悩み』が書かれた背景とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3300)】
ナニワイバラ(ナニワノイバラ。写真1~3)、芳香を放つハゴロモジャスミン(写真4)、アマドコロ(写真5)、ドイツスズラン(写真6)が咲いています。散歩中のフレンチ・ブルドッグ(写真8)に出会いました。
閑話休題、『若き日のゲーテ――詩と真実』(関泰祐訳著、社会思想社・現代教養文庫)は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの若い時期を対象とした自伝『死と真実』の抄訳だが、その随所に関泰祐が解説を加えています。この解説のおかげで、若い頃読んだ『詩と真実』を、より深く理解することができました。
25歳のゲーテの文名を一挙に高らしめた『若きヴェルテルの悩み』が書かれた背景が明らかにされています。一つは、23歳の時の、友人の婚約者であるシャルロッテ・ブフ(19歳)に対する失恋、もう一つは、人妻への恋を世間から非難されたイェルーザレムの自殺、さらなる一つは、親しくしていた若き人妻、マキシミリアーネ・ブレンターノ(18歳)との別れ――の3つだというのです。
『若きヴェルテルの悩み』に関して興味深いことが記されています。●ゲーテがジャン・ジャック・ルソーの書簡体小説『新エロイーズ』の影響を強く受けていたこと、●ゲーテは『若きヴェルテルの悩み』を4週間で書き上げたこと、●ナポレオンが『若きヴェルテルの悩み』を暗記するほど愛読し、1808年に59歳のゲーテと対談した時も、本作品を話題に上せたこと。
26歳の時、婚約したリリー・シェーネマン(16歳)と結婚に至らなかった背景も記されています。ゲーテが愛した多くの女性の中で最も美しい容姿に恵まれていたリリーは、富裕な銀行家の娘で、性格のよい教養ある女性でした。相思相愛の二人だったのに、華やかなシェーネマン家と堅実で地味なゲーテ家では釣り合いがとれないという反対に合い、婚約は解消されてしまいます。
ゲーテは生涯、多くの女性を愛したが、それは官能的なドン・ファン的なものではなく、精神的に互いを高め合おうとするものでした。私の若年時からの恋愛至上主義は、ゲーテから強い影響を受けています。