自己の全心を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所の正しい理解を得ることに・・・【ことばのオアシス(61)】
【薬事日報 2011年3月9日号】
ことばのオアシス(61)
自己の全心を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所の正しい解釈を得ることに夢中になるといったようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である。
――マックス・ヴェーバー
マックス・ヴェーバーが晩年に学生に対して行った講演「職業としての学問」の有名な一節。
編集者として松本清張、司馬遼太郎に間近で接した半藤一利がこう語っている。「清張さんもそうなのですが、作品を書くにさいしての司馬さんの資料収集と検証作業のものすごさ。冗談でなく、命懸けといってもいい。つまりは、こまごまとしたエピソードやゴシップまで、文献に当たり専門家に尋ね、納得ゆくまで調べあげる。とにかく徹底的なんです」。
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