榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

サリンジャーがライ麦畑から姿を消しちまった理由・・・【山椒読書論(34)】

【amazon 『我が父サリンジャー』 カスタマーレビュー 2012年5月24日】 山椒読書論(34)

早くから、この本の存在を知りながら、今日まで手に取らなかったのは、『ライ麦畑でつかまえて』(J・D・サリンジャー著、野崎孝訳、白水Uブックス)をかなり以前に読んだ時に、私の好みには合わない作品と感じたからであった。

しかし、今回、意を決して、サリンジャーの長女の手になる『我が父サリンジャー』(マーガレット・A・サリンジャー著、亀井よし子訳、新潮社。出版元品切れだが、amazonで入手可能)を読んでみて、なぜ、もっと早く繙かなかったのだろうと後悔している。

この本に対して、サリンジャー自身が隠し通してきた数々の事実を白日の下に晒してしまったという非難があるが、私が一番強く感じたのは、サリンジャーという作家というよりも、サリンジャーという一人の人間に対する同情である。

サリンジャーの分身ともいうべき16歳のホールデン・コールフィールドが大人たちや世間に反撥し、上品とは言いかねる偽悪的な口調で不満をぶちまける独白形式で書かれた『ライ麦畑でつかまえて』で一躍、人気作家になったサリンジャー。それにも拘わらず、いくつかの作品を出版しただけで、草深い田舎に隠棲してしまったのは、なぜか。その後、二度と作品を発表することなく、沈黙を守り通し、死に至るまでその動静が一切伝わってこなかったのは、なぜか。

その解答が、『我が父サリンジャー』で明らかにされたわけだが、実の娘によるものだけに、臨場感がある。

著者によれば、反ユダヤ主義運動盛んなりし20世紀前半、ユダヤ人の父とアイルランド人の母の間に生まれ育ったサリンジャーは、半ユダヤ人だからアメリカ社会の本流に乗れず、一方、半ユダヤ人ゆえに結束の固いユダヤ社会にも入れず、明確な帰属意識を持てないまま成人したというのだ。彼は「WASP(アングロサクソン系白人新教徒)の『社交界』に、カントリー・クラブに、アイヴィー・リーグの名門校に、社交界の娘たちやその同類に向けた激しい怒り」を抱いていた。その上、徴兵された陸軍で戦場の凄惨さを嫌というほど目撃したため、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされることになったというのだ。除隊し帰還後、依然として癒えない心の傷を抱えたサリンジャーは、神秘主義的なさまざまなカルトに救いを求める。

カルトの教えに厳格に忠実であろうと自らが努めるだけでなく、複数の妻(何度も結婚している)や子供たちにも強制したことで、彼らに悲劇が生じてしまったというのが、著者の見解である。「ピエール・アベラール(サリンジャーを擬している)は最後の誓いを間近に控えた若くけがれなき乙女(著者の母)を連れて緑豊かな修道院を去り、門を出たとたんに彼女が粘液と老廃物と排泄物の袋に変容したことを知る」と、著者が父に向ける眼差しは厳しい。

長きに亘る隠遁生活と作家としての沈黙には、こういう背景があったのである。作中人物のホールデンが、ライ麦畑の危ない崖の縁に立っていて、落ちそうになる自分をつかまえてくれる人(キャッチャー)を探しているように、自分がどんどん落ちる前にすがりつけるものを持っている人を求めているように、サリンジャーはカルトにすがりついたのだ。

この本は、重大なストレスに晒されたときに、カルトに惹きつけられ易い若者に対する警告の書としての役割も果たすのではないか。