榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

泣くもんかと読み始めたのに、何度も泣いてしまった私・・・【山椒読書論(48)】

【amazon 『泣ける話、笑える話』 カスタマーレビュー 2012年7月13日】 山椒読書論(48)

泣ける話、笑える話――名文見本帖』(徳岡孝夫・中野翠著、文春新書)には、タイトルどおりの泣ける掌篇、笑える掌篇が40話、収載されている。徳岡孝夫、中野翠という手練れの書き手が交互に書いているのだが、両者が互いに意識し合っていることが、これらのエッセイに一層の味わいを与えているように思える。

例えば、徳岡の「赤ん坊と記者」は、こんなふうに綴られる。徳岡が大阪で毎日新聞の記者としてサツ(警察)回りをしていた昭和30年代の話である。捨て子の短い記事を中途まで書いたが、「熱がある」と聞いたことが気になって、入院先の病院を訪ねる。看護婦から肺炎と聞き、暫く、じっと赤ん坊を見つめる。社に引き返し、原稿を一から書き直し、デスクに提出する。翌朝の朝刊を見て驚く。地方版であったが、「お母さん、出て来てください 赤ちゃんは肺炎です」という三段の見出しが付くという、想像以上の扱いになっていたからである。

その日も、いつものようにサツ回り。今一度、病院に行き、「ああ、あの子、やっぱり亡くなったわ」と教えてくれた看護婦と二人だけの、地下霊安室でのささやかな通夜。徳岡の短い記事は、「お母さん、やっぱりダメでした」との見出しで、夕刊に小さく載った。

捨て子は死に、小さい「事件」は完結したが、なぜか記事をそこで終わらせたくなかった徳岡は、赤ちゃんの遺体がどうなったか調べ、短い記事を書いた。

その翌日、編集局の中で擦れ違った先輩記者から、「おい、徳やん」と呼び止められる。「はぁ」、「お前、入社して何年になる?」、「十年です」、「そうか。今日の大阪版の記事なあ、十年間でお前の書いた最高の記事やわ」、「は、有難うございます」。滅多に他人の原稿を褒めない先輩記者に軽く頭を下げ、1~2秒後に頭を上げた時、そこにはもう誰もいなかった。「だが私は、五十年後の今も憶えている」という結びが、何とも利いている。

中野は、「骸骨の一踊り」の中で、十返舎一九の辞世、「此世をば どりやお暇に線香の煙と共にはい左様なら」、淡島椿岳の辞世、「今まではさまざまの事してみたが 死んでみるのはこれが初めて」、杉浦日向子が好んだ江戸っ子の冗談、「人間一生糞袋」――への共感を語っている。