ブータン人にとっての幸せとは・・・【山椒読書論(82)】
『ブータン、これでいいのだ』(御手洗瑞子著、新潮社)には、いろいろ考えさせられてしまった。ブータンといえば「幸福の国」というイメージが強いが、現地で1年間、公務員として働いた著者としては、物事はそう単純ではないというのだ。
著者は、短期旅行者ではなく、ブータン政府の首相フェロー(ブータン政府に1年間、雇用された海外からの若手プロフェッショナル)という立場にいた関係上、ブータンという国がどういう環境に置かれているかをしっかり認識している――「こんなに小さくて、インドと中国という巨大な国に挟まれて、資源もあまりない国でありながら、独自のビジョンの下、国を運営して国民が自信満々に『どうよ、ブータン。いい国でしょ』と自慢できるのは、やはりすばらしいと思うのです」、「ブータンは、開発途上国の中でも特に開発が遅れていると国連が定めるLDC(後発開発途上国)の1つです」、「ヒマラヤの傾斜を生かした水力発電と、手つかずの自然・文化を生かした観光が、現実的な主力産業になると考えている」。
一方、社会情勢については――「ブータンには貧困がありますし、経済格差もあります。それでいて都心部ではバブルもはじまっている。都市の若年層の失業率は高いのに、建設業などの仕事はほとんどインドからの非熟練労働者に依存しているという歪んだ構造もあります。人種問題も複雑です。約束が重視されないブータン社会では、ものごとは決して予定どおりに進みません。サービスの質も高くなく、クリーニングにセーターを出したら左袖がちぎれてなくなって返ってきたりします。浮気がちでもあるので離婚率も高いです。平均寿命だって、日本より20歳ほど低い」。
それなのに、ブータンの人々が幸せなのはなぜか。「うまくいかないことがあっても、自分を責め、追い詰めることがない。『仕方がなかったね』と割り切り、また次の瞬間から笑顔に戻る。これは、ブータンの人々が日々を幸せに生きる上での智恵」だというのだ。
「日本では、『ブータンの人はいつもにこにこしていて、穏やかで、決して怒らない』というイメージがあるように思います。でも、そんなことはありません。ブータンの人は、喜怒哀楽を、とても素直に、しっかり表現します。そしてよく笑い、よく怒ります。ブータンの人は、逆ギレ以外にも実はよく怒るのです」。
「ブータンの人たちは、政府で働く官僚も含め、ほとんどの人が手帳もカレンダーも持っておらず、頭で記憶できる範囲(1~2日後)までしか予定を立てない」という面もある。
「周りを見ると、みんな収入を超えてお金を使っているようです。月収が2~3万円の人が100万円以上の車を持っているのが当たり前。ローンの支払いに計画性があるようにも見えないし、欲しいものは買ってしまう」、こういう傾向には、ブータンの人たちの人生哲学――●「人生は一度しかないんだから、我慢せずに楽しまなくちゃ!」と、欲求に素直に生きる快楽主義、●「どうせ先のことは分からない」と、「今」を生きる刹那主義、●「いざとなったら、助け合えばいい」という家族や友人との絆――が影響しているというのが、著者の見方だ。
責任感の強い著者は、この対応策についても言及している――「個人的な見解ですが、今、ブータンに必要なのは、長期的には『お金についての教育をすること』であり、短期的には『無理な借金をさせないように、貸付の基準を上げ、審査を徹底し、また銀行の貸付総額をコントロールすること』ではないかと思います」。