本当は、あなたは誠実な人だったのでしょう、ファインマンさん・・・【山椒読書論(176)】
「ご冗談でしょう、ファインマンさん」というユニークなタイトルは、かなり以前から気になっていた。漸く手にした『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(リチャード・P・ファインマン、ラルフ・レイトン著、大貫昌子訳、岩波現代文庫、上・下巻)は、その題名同様、一般的な自叙伝や回想録とはかなり趣が異なっていた。
幼い頃から、理論物理学者として大成した時代までの生涯の思い出がユーモアたっぷりに縦横無尽に語られている。読む人によっては、悪戯の度が過ぎるとか協調性がないとの印象を受けるかもしれないが、私には、自分の考え方・生き方に頑固なまでに忠実で、他人の思惑を気にせず、学問・研究にとことん誠実な人物であったように思える。
彼の学問・研究に対する姿勢は、巻末に載っているカリフォルニア工科大学1974年卒業式式辞「カーゴ・カルト・サイエンス」に明快に示されている。カーゴ・カルト・サイエンスとは科学の仮面を被った似非科学を指しているのだが、自分に都合のよい実験結果のみを言い立て、都合の悪い結果は隠すと厳しく批判している。そして、卒業生たちに「(われわれが心から願っているのは)一種の科学的良心(または潔癖さ)、すなわち徹底的な正直さともいうべき科学的な考え方の根本原理、言うなれば何ものをもいとわず『誠意を尽す』姿勢です。たとえばもし諸君が実験をする場合、その実験の結果を無効にしてしまうかもしれないことまでも、一つ残らず報告すべきなのです」と諭している。
ファインマンの名を聞いたとき思い出してほしいのは、量子力学でノーベル賞をもらったこと(朝永振一郎、ジュリアン・シュウィンガーと共同受賞)でも、理論物理学者であったことでも、ボンゴドラムでもマンハッタン計画でもなく、好奇心でいっぱいの男だったということだ、と常々語っていたという。何かにあっと驚き、なぜだろうと考える心を失わないこと。そして、いい加減な答えでは満足せず、納得がいくまで追求する。分からなければ分からないと正直に認めること。これがファインマンの信条だったのである。
また、彼は日本に並々ならぬ興味と好意を抱いていた。「こうしていくつかの大学をまわったあと、僕は京都の湯川(秀樹)研究室で何ヵ月か過ごしたが、これがまたたいへん楽しかった。何といってもすべてが実に快い。仕事に行くとまず靴を脱いであがり、ちょうど欲しいなと思っている頃、誰かが茶をいれてくれる。ほんとうに気持がよかった。京都にいる間、僕はやっきになって日本語をマスターしようとがんばった」。