榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

実は、中国共産党は人民を恐れている・・・【山椒読書論(182)】

【amazon 『習近平と中国の終焉』 カスタマーレビュー 2013年4月29日】 山椒読書論(182)

習近平と中国の終焉』(富坂聰著、角川SSC新書)の著者・富坂聰は、本物の中国通だと直感した。なぜなら、薄熙来の右腕であった王立軍がアメリカ大使館に逃げ込んだ事件が起きる2カ月前に、別の著書の中で、「重要なのは中国の国内のキーパソンだ。ひとりあげるとすれば、私はずばり薄熙来重慶市党委員会書記ではないかと考える」と、見事な先見性を示していたからである。

この書は、習近平政権がこれからどういう方向へ進んでいくのかを考える上で、欠かすことのできない重要な3点を指摘している。

第1点は、中国共産党が真に恐れているものの「正体」である。

2012年、全人代(全国人民代表大会)閉幕後に、総理であった温家宝が、「もし共産党が今後政治改革をやり遂げることができなければ、我が党がこれまで積み上げた全てを失うかもしれない」と危機感を顕わにしている。

年間20万ないし30万回という群体事件(抗議デモ)に悩まされている中国共産党は、さらにその先を恐れている。今後もし中国が本格的な経済の失速段階を迎えた場合、人民の政治に対する失望と苛立ちが高まり、文化大革命のように全国的な激烈な運動となって共産党政権を襲うことを危惧しているのだ。

この事態を避ける方法は一つしかない。それは「民主化」である。「十八大(2012年の中国共産党第18回全国代表大会)で総書記となった習近平らは、今後10年の政権運営を担うことが確定した。果たしてこれから10年を無事に乗り切れるのか? それを指導部が考えていないはずがないのである。彼らが(退任時に責任追及されずに)権力からゆっくりと降りられる唯一の方法を探したとき、それは民主化しかない。つまり、共産党こそが民主化を望んでいることは間違いなく、これが共産党と民主化の実際の距離感といえるだろう」。

「はっきりいえば、共産党は人民を恐れている」のだ。

第2点は、薄が党中央に与えた「打黒唱紅」の衝撃である。

薄が失脚し、その妻・谷開来が殺人の罪を問われ執行猶予付きの死刑判決を受けた薄熙来事件は、その裏側に中国共産党による一党支配を覆しかねない重大な意味を含んでいた。日本のメディアが報じた太子党と共青団(中国共産主義青年団)の権力闘争といったレヴェルを遥かに超えたものだったのである。

年下の習、李克強に先を越された「薄熙来の焦りは(2007年の)十七大を境に爆発した。彼は重慶市への赴任を機に、中国共産党の伝統的価値観の壁を飛び越える決意をし、全国規模で話題になる政策を次々に打ち出していった。そして、その発信力で中国全土から圧倒的な人気を博していったのである」。

彼が行った「打黒」とは、マフィア撲滅作戦のことである。中国におけるマフィアの黒幕というのは、党や地方政府の身内であったり、公安の大幹部であったりするため、当局は取り締まりに手加減を加えるのが通例であったが、薄は容赦なく徹底的に断行し、決定的な成果を上げたのである。このため、「格差」と「不公平=権力者の腐敗」を怨んでいた市民は大いに沸き立ち、溜飲を下げたのだ。そして、重慶市にとどまらず中国全土で薄の存在感と期待値が一気に高まっていった。 

「唱紅」とは、かつての革命ソングを皆で歌う運動を指している。これが「毛沢東時代は貧しかったが、皆、平等だった」と当時を懐かしむ大衆に人気を博し、全国に広がっていった。このことが文化大革命で酷い目に遭わされた共産党幹部たちに、もし文化大革命のような悪夢が再現されたらと、恐怖心を甦らせたのである。今や、格差と不公平に対する不満と怒りが、圧倒的多数の中国庶民の間で渦巻いているからだ。発展から置き去りにされた者たちの怒りがいつ爆発してもおかしくない状況なのだ。

第3点は、家柄もコネもない一介の労働者から広東省書記に駆け上がった汪洋が、広東省で実際に行った改革によって指し示した「民主化の道」である。

汪が政治家として優れているのは、言葉だけにとどまらず行動が伴っている点にある。彼の民主化は、党内民主化のシステムとして、基層幹部選出における直接選挙の導入、そして人民代表大会と政治協商会議の機構改革、加えて司法機構改革と汚職防止制度の確立、さらには政府の機能改革にまで及ぶ膨大なものであった。「汪洋の言葉はぶれることがない。一貫して思想解放を説き、改革開放を推し進める揺るぎない姿勢は、世間に広く知られることとなったのである。・・・彼はそれを一党支配が確立された中国で率先して行ったのであるから、中国においてはまさに『改革者』の代表といっても過言ではないだろう」。汪の民主化は、一言で言えば、「言論の自由」と「小さな政府」を目指すものといえるだろう。

最後に私的なことになるが、私の好きな胡耀邦について、著者がちゃんと言及しているので、嬉しかった。「新中国(中華人民共和国)の60年余の歴史を通じて、胡耀邦ほど人々から敬愛され、また後輩政治家からも慕われた政治家はいません。・・・歴史の流れから現代中国を捉える上で、胡耀邦の影響力という『視座』を持つことは有意義なものとなる」。