榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

反感を感じていたワーグナーに、なぜか親近感を覚えてしまった・・・【山椒読書論(197)】

【amazon 『図説 ワーグナーの生涯』 カスタマーレビュー 2013年6月5日】 山椒読書論(197)

音楽家としてはヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルトにしか興味がない私は、正直言って、何事にも大仰なワーグナーは嫌いというよりも反感を感じていた。ところが、『図説 ワーグナーの生涯』(ヴァルター・ハンゼン著、小林俊明訳、アルファベータ)には惹き付けられてしまった。

音楽の魔術師リヒャルト・ワーグナーは、彼独自の理念に取り憑かれたオペラの革命家と見做されている。本書は、ワーグナーの波瀾の人生、すなわち、昇竜の勢いの大成功、地獄の苦しみの凋落、成功を求めての苦闘や運命的な巡り合わせ、画期的な理念追求に捧げた血と汗の努力とその成果を、188点の映像資料――初演時の舞台美術や衣装、劇場のプログラム、手書き原稿、スコア、さらには重要な舞台場面、友人、敵対者、パトロン、芸術家、女友達や恋人たちの肖像画や写真――を駆使して、客観的に明らかにしている。

「ワーグナーは革命を願っていた。ラジカルな気分が彼自身の芸術上の革命には追い風になるからである。それはオペラの革命、指揮法の革命、それに彼の見解ではあるが、宮廷劇場の悲惨な状況に対する革命であった。1848年2月25日、革命は最初にパリで火が点き、それからドイツ各地に飛び火した。三月革命である」。

「ヴェーゼンドンク家の家族が相変わらずホテル住まいをしていた時のこと、ワーグナーと美貌の夫人マディルデとの間に秘かな愛が育まれていた。それは告白もなく、先の見通しもない愛であった。二人の愛情がゆっくり成熟してゆく間、数年前に繙いた、ある叙事詩が彼の念頭に浮かんできた。それは『トリスタン』、つまりマルケ王に忠誠を尽くす義務があったにも拘わらず、王妃イゾルデを愛してしまった騎士トリスタンの物語である。それはワーグナーとマティルデの物語でもあった」。このように、ワーグナーは生涯に亘り、自分の数々の恋愛体験を創作活動の糧としていったのだ。

それにしても、このマティルデ・ヴェーゼンドンクを初め、この書に登場する多くの女性たちの美貌ぶりには溜め息が漏れてしまう。

この時代の婚外恋愛の自由というか奔放さには、本当に驚かされる。例えば、こんなふうである。ワーグナーと不倫後、後に2番目の妻に収まる25歳年下の「コージマの母マリー・ダグー伯爵夫人がこの(マティルデ)夫婦のドラマの真っ只中に登場してきた。伝説的な過去をもつ53歳のこの夫人は教養に富み、魅力的で若々しさを保っていた。彼女は1834年、彼女の夫から離れ、フランツ・リストの愛人となり、リストのために3人の子供(次女がコージマ)を生んだが、1839年に夫のもとに戻っていた」。

ノイシュヴァンシュタイン城の写真には、「1868年5月13日付けの王(ルートヴィヒⅡ世)の手紙によれば、この城は『崇高な友リヒャルト・ワーグナーのために建てた威厳ある聖堂』ということである。城の完成はワーグナー死後の1886年になる。ワーグナーがミュンヘンやバイロイトで演出した舞台美術は建築様式として、このノイシュヴァンシュタイン城に反映されている」というキャプションが添えられている。

ワーグナーは姉夫婦の家で、「当時まだまったく無名の哲学専攻の学生フリードリヒ・ニーチェと知り合った。これは2人の世紀の天才の出合いであった。ニーチェはそれ以来、ワーグナーのもっとも親密な友人のひとりに数えられるようになる」、ところが、「彼(ニーチェ)はワーグナーをこの時代最大の天才として尊敬していたが、ワーグナーの死後、彼に対して人を惑わす危険なペテン師という烙印を押す」のである。