榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

貧しさの中で学問に打ち込む喜びを知ったマリー・キュリー・・・【山椒読書論(204)】

【amazon 『世界ノンフィクション全集(8)』 『キュリー夫人伝』 カスタマーレビュー 2013年6月15日】 山椒読書論(204)

マリー・キュリーが、屋根裏部屋で学んだ若き日々について、『自伝』(マリー・キュリー著、木村彰一訳、筑摩書房『世界ノンフィクション全集<8>』所収。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)でこのように語っている。「この期間が私に与えてくれた幸福は筆にも口にも尽くせぬほど大きなものでした。私はあらゆる雑用から解放され、学問に全身全霊を打ち込むことができました。未知の事柄を学ぶたびに喜びが胸に溢れる思いでした」。

「友だちもないまま、パリという大都会の片隅にひっそりと暮らしていたわけですが、頼りにする人も援助してくれる人もないことを悲しく思ったことはただの一度もありません。時に孤独の思いにふけることはあっても、私の日常的気分は、安らかな安息、それに完全な道徳的満足のそれでした」と続く。

マリーはさらに言う。「私は聴講、実験、図書室での読書の三つに時間を配分し、さらに夕方からは自分の部屋で、しばしば夜中過ぎまで一所懸命勉強しました。私は今まで知らなかった新しいことを次々に学んでいく喜びに浸り切っていました。学問の王国、この全く未知の王国が突如として目の前に現出したような思いでした。そして自分は遂に、いつでも好きな時にそこへ入っていける身分を獲得したのでした」。彼女のものを学ぶ喜びがストレートに伝わってくる。

マリーの次女・エーヴが著した『キュリー夫人伝』(エーヴ・キュリー著、川口篤・河盛好蔵・杉捷夫・本田喜代治訳、白水社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)では、このように描かれている。「限りない愛情を感じていた時にも、華々しい成功と栄誉に包まれていた時にも、永遠の学徒であった彼女は、貧しさの中、全力で向かっていったこの情熱的な努力の日々ほど、満たされていたことは、いや、誇りに思っていたことは、なかったのである。彼女はその貧しさを、誇りに思っていた。外国の街で、誰にも頼らず独りで生きていることを、誇りに思っていた。夜、みすぼらしい住まいで、ランプの明かりを点けて勉強していると、まだ取るに足りない自分の運命が、尊敬してやまない偉大な人々と、密かに一つになっていくように感じられた」。

マリーは、言うまでもなく、ラジウムの発見者にして、ノーベル賞を二度も受賞した(1903年に物理学賞、1911年に化学賞)女性である。その長女・イレーヌは、人工放射性元素の研究で1935年にノーベル化学賞を受賞している。イレーヌは、『わが母マリー・キュリーの思い出』(イレーヌ・キュリー著、内山敏訳)を書いている(筑摩書房『世界ノンフィクション全集<8>』所収。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)。

マリーがピエールと結婚したのは1895年7月であるが、その3カ月後にヴィルヘルム・レントゲンがX線を、翌年にはアンリ・ベックレルが放射線を発見しており、その頃、マリーは博士論文のテーマを物色中だった。まさに、現代に繋がる原子力時代の出発点に立っていたことになる。そこで、彼女が選んだのが、この放射線に関する研究だったのである。

マリーは、「私はラジウムの純化の仕事を、ピエールはこの物質が放射する線の物理的属性の研究を行っていた」と、『自伝』に記している。マリーは実験、ピエールは理論と、うまく役割を分担していたのだ。そして、マリーが、放射線を出す物質の性質を「放射能」と命名することを提案した。

ラジウムの医療への応用とともに、ラジウムは非常に高価な金属となり、その純化の技術を開発したキュリー夫妻は、その気になれば莫大な富を築くことができたはずだった。しかし、その特許権を放棄し、7万フランのノーベル賞賞金も、一部はマリーの姉が経営する病院に寄付するなどして、その後も研究資金の不足に苦しむことになる。マリーは賞金によって部屋の壁紙を張り替えただけで、身を飾るものは何一つ買わなかったという。このように彼らは無欲の見本のような人間であったが、科学の研究においては、貪欲極まりない人間であった。「彼(ピエール)は、科学と理性との平和的な威力のみを信じ、ひたすら真理の探究のために生きた」とマリーは言っているが、これは彼女自身にも当てはまることであった。

ピエールの死後、二度目のノーベル賞受賞や、ピエールの弟子との恋愛沙汰を巡るスキャンダル、第一次大戦中、X線治療班を組織して負傷兵のために戦場を駆け巡った日々、あるいは大歓迎を受けたアメリカ旅行など、多忙な生活の中で彼女は自らの肉体が実験中に受けた放射線によって致命的に損なわれていることには全く気づいていなかった。キュリー夫妻が残した研究ノートからは未だに微量の残留放射能が検出されるという。そして、現在では彼女の死因は放射線を浴びたことに起因する白血病と推定されている。因みに、娘のイレーヌも同じ原因で死んでいる。

ピエール死後の一時期、ピエールの教え子で、5歳年下のポール・ランジュヴァンとマリーとの間に生まれた愛について、エーヴの『キュリー夫人』では、あっさりと暗示的にしか触れられていないのは、娘の立場では仕方ないだろう。

なお、マリーの全体像を手っ取り早く知るには、『大人のための偉人伝』(木原武一著、新潮選書)所収の「キュリー夫人――永遠の女学生」が便利である。