赤毛のアンと、遂に友達になれた・・・【山椒読書論(227)】
「見ると顔は涙でよごれ、唇はふるえていた。『小母さんだって泣くわ。もし、小母さんがみなし子で、これから自分の住む家になるのだと思うところへきてみたら、男の子じゃないからいらないのだってことがわかったら、きっと泣くことよ。ああ、こんな悲劇的なめにあったことないわ』」――孤児院のアンがもらわれていった先で、年老いた兄妹、マシュウとマリラがほしかったのは農作業を手伝ってくれる男の子だったこと、自分が連れてこられたのは手違いだったことを知らされたとき、アンはテーブルに突っ伏したまま、激しく泣きじゃくった。
翌日、二人乗りの馬車でアンを孤児院に戻しにいくマリラに――「『ねえ、あたし、このドライブを大いに楽しむことに決心しました』とアンはうちあけた。『楽しもうとかたく決心さえすればたいていいつでも楽しくできるのが、あたしのたちなんです。もちろん、かたく決心しなくちゃだめよ。せっかく、ドライブしている間は、孤児院へ帰ることは考えないで、ただドライブのことだけ考えようと思うの。あら、早咲きの小さなばらが一輪咲いているわ。美しいこと』」。
『赤毛のアン』(ルーシー・モード・モンゴメリ著、村岡花子訳、新潮文庫)を、ここまで読んだとき、決して幸せとは言えない境遇なのに、空想好きでおしゃまで溌剌としていて、自分の考えをしっかりと持っている健気で前向きな11歳のアン・シャーリーと、どうしても友達になりたいと思った。
アンは、カナダのプリンス・エドワード島の美しい自然に恵まれた村で、マシュウとマリラの愛情に包まれ、友情を大切にしながら、学校生活を楽しむ。さまざまな失敗を重ねながら、魅力的な少女に成長していく。続編の『アンの青春』では、少女から女性へと変身していくアンの多感な日々が展開される。続く『アンの愛情』はアンの大学生活と恋がテーマだ。次の『アンの幸福』ではアンの婚約時代が綴られ、アンは身近な女性から「『あたしはきょうはどんなうれしいことを発見するかしら?』――これがあなたの生活態度に思えるわ、アン」と羨ましがられる。さらに『アンの夢の家』ではアンの新婚生活が、『炉辺荘(イングルサイド)のアン』では6人の子育てに奮闘するアンが、『アンの娘リラ』では、第一次世界大戦で息子を失う母親アンの悲しみが描かれる。
アンの物語は、単なる少女小説の域を越えて、一人の女性のビルドゥングスロマン(成長物語)たり得ている、そして、男女を問わず、悩み多き我々に慰めと癒やしを与えてくれる。
以前テレビで放映されたアニメーションのDVD-BOX『赤毛のアン』(高畑勲監督、バンダイビジュアル)のアンは、姿形も仕草も声も愛くるしくて、いじらしい。